空色勾玉

Dragon Sword and Wind Child

それは、神々がまだ地上を歩いていたころの物語

STORY

輝の大御神の双子の御子と、闇の氏族とが烈しく争う戦乱の世に、闇の巫女姫と生まれながら、光を愛する少女狭也。輝の宮の神殿に縛められ、地底の女神の夢を見ていた、〈剣の主〉稚羽矢との出会いが、狭也を不思議な運命へと導く…。

勾玉三部作とは?

日本中の少年少女を古代ロマンの渦に巻き込んだ記念碑的作品。このサイトでも取り上げる「白鳥異伝」と、取り上げないけどすごく面白いので絶対読んだ方がいい「薄紅天女」が残りの二作品です。登場人物は一つの作品の中に収まりますが、同じ世界の異なる時代を切り取っている三部作です。愛。

KEYWORD

和製ファンタジーの金字塔

 まだファンタジーが西洋のものだった頃に、「これぞ日本ならではのファンタジー!」を打ち立てた、金字塔とも言うべき本だと思います。
 にも関わらず、いつ読んでも、今読んでも”新しさ”を感じられるところが一番すごい。最初の刊行は福武書店さんから、何と1988年発行。わたしと同い年…!と当時嬉しさを感じながら読んだのを思い出します。
 初めて読んだときから15年以上経っていますが(恐ろしい…)、折に触れて何度も読み返す、原体験とも言うべき大切な一作です。
 きっと、同じように思っている方が多くいらっしゃるからこそ、最近でも文庫本になったり、シリーズの新刊が出たりしているのだと思います。今までもこれからも、多くの人に愛される本なのだと思います。この紹介を通じて、「空色勾玉」がまた誰かの大切な本になりますように。

日本語の美しさを飲みこむように読む

たぎつ清流のように力強いものを狭也の声にききとり、稚羽矢は感嘆してそっとつぶやいた。「水の乙女だ」この流れをせきとめるほどのものを彼はもっていない。さかまく水の清新さは 狭也の表情にも、まなざしにもあった。 稚羽矢の腕に手をおいて、 狭也は言った。
「剣をもって、いっしょに出ていきましょう。あなたの檻、あなたを縛めるものも、同じ刃のもとにこわしてしまいたいのよ」(P137)

 上記をお読みいただければ百聞にしかずだと思いますが、読み心地がさらっと清らかで気持ちがいい。荻原さんの文体は今も昔も変わらず、「美しさ」と感じさせてくれます。少しだけ古めかしいけれど瑞々しい表現や、崩れていない日本語に触れることが出来ます。しかもそれが全く読みにくくなく、むしろすーっと入ってくる。
 まるで、毎日の生活の中で置いてきてしまった何かがこの本の中にあって、読んでいる間はそれを慕わしく、いとしく思い出すような感覚を味わえます。

CHARACTER

<闇>の一族

狭也(さや)

輝の一族が治める羽柴の村に住む15歳の少女。輝の一族によって故郷の村を失い、羽柴の両親に拾われたため闇の一族の自覚はないが、実は闇の女神に仕える巫女姫「水の乙女」の生まれ変わり。「月代王=輝一族」への憧れを持ちながら叶わぬ夢と思いながら暮らしていたが、"かがい"の夜に月代王に見出され、采女として輝の宮へ移り住むことになる。

「情がないのではありません。憎むことより、愛することが好きなだけです」

鳥彦(とりひこ)

闇の一族で、大胆で生意気だが茶目っ気がある少年。二羽のカラス「黒兄(くろえ)」と「黒弟(くろと)」を連れている。羽柴の祭りの楽人として狭也と出会い、狭也が闇を拒絶し輝の宮へ移った後も、狭也のそばに現れ心の支えになっていた。輝の宮にある「大蛇の剣」を盗み出そうとして失敗し、囚われの身となる。

岩姫(いわひめ)

闇の一族の老巫女で、前世からの記憶を連綿と持っている。その時々の闇の一族の導き手となる。

伊吹王(いぶきのおおきみ)

稚羽矢の剣の師匠で、剣技を教えることで、稚羽矢の幼いながら純粋な気持ちを理解してくれた優しくて大きな人。後に大変な目に遭うけど、それでもやっぱり優しくて大きな人。

開都王(あきつのおおきみ)

輝の一族との戦いの総司令官的存在。闇の一族に加わった稚羽矢や狭也に対して冷ややかな目で見ている。でもいい人。

科戸王(しなどのおおきみ)

稚羽矢に対して輝の一族であると一番敵対心を持っている王。一方狭也のことは好きなのだけど、狭也は全くそれに気付いていないかわいそうな人。

「死ぬことを知らずに、真の恐れや、真の別れを、真の悲しみを心得ているはずがない。心と心のつながりや、気づかいや、いたわりを、理解できるはずがな い。われわれはいつか死ぬ身であるからこそ、近くにいれば求めあい、遠くにあれば慕いあうのだ。そうではないのか?」

闇の大御神(くらのおおみかみ)

闇の一族。輝の大御神の妻。黄泉の国に来た人間一人一人を安らかな心で眠りにつけるように癒す。昔、輝の大御神に姿を疎んじられてから自分で体を捨て去った。いわゆる”イザナミ”さま。

<輝>の一族

稚羽矢(ちはや)

天界から地上に遣わされた輝の一族の末の御子。輝の宮の一角に幽閉され、「大蛇の剣」の鎮める巫女として過ごしていた。そこで狭也と出会い「外」の世界へ連れ出されることになる。いわゆる天然キャラ。幽閉されていたために世間知らず、一方で神であるという自覚が少ないため、狭也と出会い、様々なことを学んでいく。

「ひとつの望みをかなえようとしたら、ひとつ何かを失わなければならないのだ。きっと、だれにとってもそうなのだ」

照日王(てるひのおおきみ)

天界から地上に遣わされた、輝の一族の第一の姫御子。父である輝の大御神の命を受け、父神降臨の日に向けて、弟の月代王と共に闇に属する各地の土地神や闇の一族を排している。父神を妄信している節があり、父神降臨という目的のためならば何者にも容赦しない冷徹さを持つ。内から光り輝くような美しさを持つ女神で、不変を保つ「変若(おち)」の能力を持つ。姉弟の中では輝の一族の不変性が最も強く、死を「逃げ」や「穢れ」と見なし、変化の性質を持つ闇の一族を強く嫌っている。そのため闇の一族である「水の乙女」も、「すぐに心変わりする」「逃げるために安易に死ぬ」などと嫌っており、狭也に冷たい態度を取ったり、月代王に「水の乙女」を輝の宮に迎えることを諌めたりしている。

月代王(つきしろのおおきみ)

天界から地上に遣わされた、輝の一族の第二の御子。姉の照日王と共に闇に属する各地の土地神や闇の一族を排している。姉の照日王と同様に、内から光り輝くような美しさを持つ男神で「変若」の能力を持つ。闇の一族である「水の乙女」に惹かれているものの、不変の性質を持つ輝の一族であるが故、変化の性質を持つ闇の一族を真に理解することができない。

「手と手をとった男女が、嬥歌の夜にとり交わすものが、飾り玉や櫛ばかりではないことくらいは、そなたも知っていると思ったが」

輝の大御神(かぐのおおみかみ)

輝の一族で照日王と月代王、稚羽矢の父。闇の大御神と再び一緒になるために(豊葦原も含めて)、全てを無に還そうとする。いわゆる"イザナギ"さま。

SCENES

「わたしはそなたに与えられるかぎりのものを与えたはずだ。大切にすると誓ったはずだ。なのに、何が不足でそのようにそむくのだ。そなたはいつも、そうやってわたしからそむいていく。いったいわたしの知らない何を、そなたは見ているのだ」
狭也はあやうく泣くところだった。月代王が本心からそう言っているらしいことが切なかった。
「そむいてはいません。お慕いしています――きっとこれからも。でも――」首をふると、狭也はどうにもならない悲しみをこめて見つめた。
「あなたがご存じなく、わたしが一人で見つめているものとは、きっと、魂――生命のありかです。闇の者はそれを忘れてはならないのです。ですから、お許しください。あたしはここにはいられないのです」(P144)

月代王と狭也の関係性もすごく好きだったので、お気に入りの場面です。触れられたら「天が落ちてきた」と思う程に慕っていた月代王を前に、相手は自分そのものではなく、かつて”水の乙女”でだった数々の少女たちも同時に見ていることに気付いてしまった悲しみ、そして慕いながらも稚羽矢と共にまほろばを出ていくことを決めた狭也の意志の強さが眩しくて。
 逆に月代王は、自分を慕っていたはずの少女が自分の前から消えようとしているのか理解出来ず、これまでの”水の乙女”もずっとそうだったという喪失感と諦観、それでも最後に思いの丈を去り行く狭也にぶつける熱が悲しい。もう少し何かが違っていたら、二人の違う未来があったのかもしれない、でももう決定的にすれ違ってしまった…、という複雑な心境にさせる、名場面です。

「あやまるって、何をすることだ?」
困って彼を見た狭也は、稚羽矢が本当にわかっていないことに気がついた。
「ごめんなさいって言うことだけど――知らないの?」
「はじめてきく」
(中略)
狭也は、今になってやっと輝の宮の巫女の教えがふに落ちたと思った。なぜ神の機嫌を損ねた巫女は、みずから命を絶つほど重い責を負わされるのか。それは、天つ神には許すという行為がないからなのだ。しくじったら、やりなおすことはできない。二度めはない。輝の御子にはそれが当然なのだ。
(中略)
「とても悪いことをしたと思っている――しなければどんなによかったかと思っていると、相手に言うことがあやまることよ。そして、この気もちに免じて、罰せずに、怒りをといてほしいとたのむことだわ。たしかに、とても虫のいいことではあるわ。でも、あたしたちのあいだでは、まちがっていたとさとったら、まずあやまるものなの……」(P285~286)

稚羽矢と狭也の名場面は他にも沢山あると思いますが、読んだ当時衝撃を受けたのがこの場面でした。神様と人の違いをなんて端的に表現してるんだろう!と感動したのをよく覚えています。神の御子である稚羽矢は”あやまる”という行為が何を意味するのか知らず、あやまることを学んだ稚羽矢と、未だ許すことを知らない姉神と兄神とはここで決定的に分たれたのだな、という彼らの決別の場面でもありますが、けれど幼いわたしもまた、”あやまる”ことが何を意味しているのかなんて、深く考えたことが無かったことに気付いたのでした。
 改めて狭也が気付くように、文字にすると「なんて虫のいい話なんだろう」と思うけど、それでもわたしたちは、謝られたら自然と許すし、許してほしいと思って心を込めて謝っている。そうやって失敗とやり直しを繰り返すのが人なんだなぁ・・・と。そうやって許しや謝罪について考えてみると何となく心が穏やかになって、何かあったとしても許してあげられる人になりたいな〜、とか、そんなことにも思い至る、学びのある名場面だなと思うのです。

MEDIA

幻のミュージカル化、そしてサウンドトラック!

 空色勾玉が2004年に劇団ひまわりにてミュージカル化がなされていたことをご存知でしょうか。運良くわたしはその存在を知ることができて、当時高校生だったわたしは初めて訪れた代官山の地に戸惑いながら、単身観劇してきたのでした。(自慢)キャストは狭也が「石川由依(アニメ進撃の巨人でミカサ役!)」さん、稚羽矢が千と千尋の神隠しのハクでお馴染みの「入野自由」さん!他にも照日王は声優や吹き替えで活躍中の「清水理沙」さん、月代王はテニミュや薄桜鬼のミュージカル等で活躍中の「矢崎広」さん。そしてそして、使用された楽曲は全ては16年7月に逝去された吉良知彦さんのユニット「ZABADAK」が担当、そして作詞は「ZABADAK」の一員で吉良さんの奥様でもある小峰公子さん、という超・超・豪華な顔ぶれで作られたものなのです…!
 そんな幻のミュージカルは大好評を博したようで、その楽曲のほとんどを収録したCDがZABADAKさんのニューアルバムとして発売されました(04年11月)。それが写真の「空ノ色」なのです。このCDも今は入手困難だと思いますが、ミュージカルを見ていなくても、空色勾玉ファンなら即座に「ああ、あの場面!」と分かる垂涎の一品です。もし見かけるようなことがあれば、迷わず購入しましょう。
 ちなみにミュージカルの情報は、今でも劇団ひまわりのHPが生きているので気になる人はチェックしてみてください。稽古場レポートが細かく書かれていて、現場の様子がよく伝わります。また再演されないかな…
http://www.himawari.net/stage/sorairo/

英語書籍化!

 日本の神話に基づいて描かれた本作ですが、何と英語書籍化まで果たしています。07年に発売されたハードカバー判を持っているのですが、英語に怖じ気づいてまだ挑戦出来ていません…。せっかく英語も勉強中なので、楽しくこの本が読めたらいいな、と思うのですが…(白目)ちなみに英語版のタイトルは「Dragon Sword and Wind Child」です。”龍の剣と風の子ども”…大蛇って龍なんだ〜とか、風の若子ってなるほどWind childだよな〜とか、なんで狭也はタイトルに登場しないのかな〜とか、タイトルだけで色々な発見がありますね。(読んでない)
 なんとこちら、今ではKindleでも読むことが出来るっぽい!気になる人は挑戦して、是非感想を教えて下さい。笑

スピンオフ収録の”荻原規子読本”!

公式ファンブックとも言える一冊。勾玉の世界、と言っても勾玉三部作だけではなく、荻原作品全体をカバーしてます。気になる内容は以下の通り!

  • 巻頭対談 中沢新一×荻原規子―日本人とファンタジー 『空色勾玉』は現代の日本神話である
  • 小説 単行本未収録!(リズム、テンポ、そしてメロディ;あのひと;スイング … いずれも上田ひろみシリーズです)
  • 対談 荻原規子×上橋菜穂子―「もう一つの世界」のにおいを求めて
  • エッセイ 『空色勾玉』ができるまで
  • 荻原規子全著作リスト
  • 『空色勾玉』スピンオフ ファン待望の書下し小説!潮もかなひぬ … 奈津女と柾から見た狭也と稚羽矢

OTHER BOOKS

たつみや章作品 : <神さま三部作>と<月神シリーズ>

 小学校高学年〜中学校時代にかけて、最も心躍った作品が、勾玉三部作とたつみや章作品でした。神と人との関係性を描いた作品が大好きだったのですね。
 たつみやさんはご本名で熊本市議会議員もお勤めになったこともある他、秋月こおという名義でBLも執筆なさっているとか…!改めて調べてみたら活動の幅が広くて驚きました(笑)作家として現在は活動なさっていないようなので、もしかしたら作品も入手困難かもしれませんが、おすすめなので機会があればぜひどうぞ。
 お気に入りの二作を以下にお示しします。

 裏山の稲荷山の巫女筋の家に生まれた平凡な少年マモルくんの家に、ある日不思議な下宿人がやってきます。自らを大学生だと称する美青年の守山さんは、腰まで届く長髪に和服の着流しで、油揚げが大好物で、レジャーランド開発計画が上がる稲荷山を守ろうと紛争します。
 少年の夏休みを描いたような爽やかさと、神さまとの優しい交感、そして自然と生きることを切なく学べる秀作です。
 わたしの名前「はつね」は、この作品から頂いてるほど大切な本。それにしても、わたしは今レジャー計画を立てる側の会社で働いているので、少し複雑な気持ちにもなります(笑)そんなこともあり、とっても思い入れの深い本です。(ちなみに、神さま三部作では、それぞれ異なる社会問題が根底のテーマとしてあります。本作では開発され自然が失われる里山を。次の「夜の神話」では原発に対する批判をモロに、最後の「水の伝説」では林業の衰退と環境問題を提起します。ちょっと思想が強めなので、念のため))

舞台は縄文時代。海から来た民の侵略を受けるムラの長アテルイと、彼の親友で美貌の巫者(ふしゃ)シクルイケが、旅の途中で少年ポイシュマと出会い、時代の転換期を生きる…というお話。
 縄文から弥生へ時代が移り変わる最中の、縄文の民にスポットをあてた意欲作なのですが、残念ながら最後どうやって終わったのかという記憶が曖昧で…。
 とにかく世界観が秀逸だったのを強く覚えています。神様がもっともっと身近だった古代の話は当時のわたしには刺激的で、「弓矢自作してえ!」とか「飾り花(作中に出てくる木を削った花で、竃の神様とか川の神様とか、とにかく八百万の神様に捧げる必須アイテム)作ってみたい!」というようなことを強く願い、図書館で石器や弓を自作する方法が書いてある本を借りてきては貪るように読み、最終的にはイラスト図解をコピーして自分なりの作り方を書き記した謎のノートを制作する、という奇行に走らせるほどでした。そんな、とっても影響力の強い本です(違う)。