ホームズと光源氏がロンドンで切り裂きジャックに挑む!?「1888 切り裂きジャック」が盛り沢山だった
「この光と闇」の偏りっぷりが刺さったので、
解説の皆川博子さんが絶賛していた本作に挑戦することに。
この光と闇の感想はこちらから!
https://sunset-rise.com/star5/light-and-this-darkness
ざっくりこんな内容
1888年のベルリンから物語は幕を開ける。
当時、解剖学を習得するためにベルリンに留学していた柏木は、
友人の鷹原から奇形の青年「エレファントマン」の存在を聞かされ、
衝動のうちにロンドンで彼の研究をすることに。
ロンドン警視庁(スコットランド・ヤード)に所属し社交界の華でもある鷹原に
巻き込まれるようにロンドンを見知っていく柏木だが、
己の行く末が定まらない芒洋さは一向に晴れることがなかった。
そして、後に世界を震撼させる“切り裂きジャック”事件が発生し、
柏木と鷹原はこの事件の真相を追うことになるーー。
みたいな話。
何がやばいって、ページ数がやばい。
引用した文章は解説の最後の文で、つまり全781ページ!(作品自体は769ページ)
通勤の合間にちょこちょこ読んでいたので、
一生読み終わらないんじゃないの…?とすら思ったよね。
(後半、話が盛り上がってきたので普通に家でも読んだ)
切り裂きジャックに関係しない描写も多く、冗長に感じられるところもあるので、
回りくどいのが苦手な人はダメかも知れない。
主人公・柏木がうじうじしすぎるから、うじうじに共感できない人もダメかもしれない。
でも、もしそれでも行けるかもしれない、その先にある圧倒的な「美」が読みたい…!
と思うなら、ぜひ読んでほしい、そしてわたしと握手してほしい、そんな作品だった。
今も迷宮入りであり続ける切り裂きジャックの真実は、
本当にこうだったんじゃないかと、信じてしまいたくなる緻密な構成、
論理の開陳に驚くこと間違いなしです。
名解説と本作の見どころ
一つの作品の中に、著者が描きたかった様々なテーマが詰め込まれていて、
冗長なようにも、無駄がないようにも思える不思議な作品だった。
ちなみにわたしが思う本作のテーマは、
- 日本人留学生から見たロンドンの世相
- 歴史の転換点に居合わせた若者の悲哀
- 時代考証を重ね切った著者が挑む切り裂きジャックの真実
です。
正解は知らん(急に投げやりになる)。
文末の解説も、本作の魅力を分かりやすく書いているので参考になるかと。
(ただし解説自体は本書の激しいネタバレがあるので、未読の方は読んではいけない)
(前略)中でも本書は構想と執筆に充分な時間をかけており、じっくりと熟成した美酒にも似た豊饒な味わいをもつ、質量ともに読みごたえのある作品である。完成より六年を閲した現在再読しても、その印象は変わらない。当時どうしてもっと評判にならなかったのか不思議である。イギリスに英訳しても充分に通用する小説である。(P775〜776)
熟成した美酒にも似た豊饒な味わい…!
イギリスに英訳しても充分に通用する小説…!
ほんとその通り(安易)。
実際、“外国人の目から見た日本”って大好きなテーマだし、
逆も然りと思えば、イギリスの人も面白く読めると思うんですよね、本作。
ラフカディオハーンの「日本の面影」みたいなね。
(未読のくせに意気揚々と名前を挙げる)
(前略)単なる切り裂きジャックの犯罪小説に終わらず、テーマはまさしく1888年のヴィクトリア朝ロンドンと実在した興味ある人物や事物である。それを日本人柏木の眼を通して、現在に投影してくれる同時代感覚の小説になっている。
決して過去の干からびた一時点をピンセットでつまみ出して見せるのではなく、すぐそこにいまも存在する魅力的な混沌の世界をのぞき見るような、絢爛豪華なドラマを展開させてくれる。この時代と事件と人物への、作者のオマージュが十分に感じられ、その想いと情熱が結晶した本書は、作者の代表作と呼んでふさわしい作品になっている。(P780〜781)
うん、ほんとその通り。
この時代のロンドンは、清濁併せ呑む混沌の街だったのだと、
留学生である柏木が目を回すのと一緒になって、くらくらしたものね。
小説を読んでいると、風景が目の前に広がる感覚が味わえるのは
皆さん一緒だと思うけど、通常は風景なんかを俯瞰するイメージで読んでいると思う。
けれど本作は、柏木の目を通して、たぶん170cmくらいの目線の高さで
街を歩き、パブで酒を呑み、霧に包まれた街の美しさに見惚れる…
そんな感覚だった。そんなカメラワークの映画を観ているようだったな。
特に、その中で登場するですね、
鷹野という青年がとっても魅力的だったんですよ奥さん!(誰宛)
鷹野無くして本作の面白さは語れないと思うほど、存在感たっぷり!
- 本名は鷹原惟光なのに、その美貌からどこに行ってもいつのまにか「光」と呼ばれるようになる
- 宮内次官鷹原伯爵の長男
- 東大医学部
- 二年で退学した後司法省に入り、その後警視庁へ。現在はロンドン警視庁に所属
- ロンドン社交界でも大人気で、王室からもモテる。エドワード王子もメロメロ
- 伯爵家の長男だが、母親は実は芸者で、鷹原が9歳の頃に殺されてしまう
- 放蕩の理由は、義母弟に鷹原家を譲るためだと社交界で噂になっている
設定盛りすぎじゃない…?笑
こういうチートキャラって、やっぱりフィクションの醍醐味ですよね、ってなる。
シンプルに、読んでいて痛快だし、楽しいもんね。
主人公がうじうじしっぱなしなだけに、ストーリーを牽引する鷹野が余計に
頼もしく、かっこよく見えたという、対比もあるかもしれないな。
超ネタバレ感想
以下は、読み終わった方と握手するつもりで書いたネタバレ感想です。
未読の方はお気をつけあそばせ!(誰)
[wpex more=”続きを読む” less=”とじる”]
鷹原という存在が眩しすぎて
この鷹原がいなかったら、途中で挫折してたかも…?
と思ったのはわたしだけじゃないはず。
男女問わず読み手を魅了するであろう、本作のホームズ役です。
わたしはシャーロック・ホームズに詳しくないのでアレですが、
この記事を描くにあたってウィキペディア先生を一読したところ、
鷹原はまさにホームズを意識して描かれたキャラクターなんだろうな?と思った。
ホームズも鷹原も、
- ワトソン(柏木)と同居している
- 楽器が得意(鷹原は横笛、ホームズはヴァイオリン)
- 化学実験を趣味とする
という共通点がありました。
それに、ホームズシリーズのほとんどの作品はワトソンを語り手としており、
その物語を綴ったことにもなっているというのも、本作と一緒だ!
シャーロック・ホームズと光源氏を組み合わせる試みも、本作の面白さだな。
(わたしのような読書素人では気づき得ない仕掛けなところが、
当時流行らなかった理由なのかな…
この「大衆のことは知らん、評価できる人が評価すればええんじゃ」
みたいな職人芸が服部作品の特徴かも)
最後の最後で「鷹野が戦争で死んだ」という描写があった時には、
血が冷えるというか、ドキッとさせられましたね。
すぐに壮年の鷹野が出てきて、二人の関係性が、
帰国してからも続いていることが分かって、ほのぼのしました。
著者である服部まゆみさんはもう鬼籍に入られているので
続編なんて望むべくもないですが、
帰国してからの鷹野&柏木コンビの話も読んでみたかったな…
と思わずにはいられませんね。
柏木も一周すると可愛く思えてくる
鷹野とは対照的に、本編の語り手でありワトソン役の柏木は、
とにかくうじうじするわ空回りするわで、読んでいて正直痛々しかったなぁ。笑
終盤、ジャックの正体がスティーブンだと思い込んで暴走してしまうところなんて、
思い出しては夜な夜な布団を転げ回っちゃうほどの奇行だったよね。
変に頑固だし。
彼の日記が、真実に繋がったことは間違いないんだけども。
またこの本は、孤独や疎外感を抱え、
研究に打ち込むことができずにいる柏木が、
文学に目覚め、自らも作家を志すことになるという、
青年の懊悩と選択を描いたものだったけど、
それもねえ、なんか物足りないというか…
結局、違う職業に就きながらも小説を執筆するという、
いわゆる兼業作家の道を歩くと、そういう選択をするわけですが、
いやお前そこは専業で頑張れよ!と思ってしまったよね。
(兼業作家さんが大変な道だと理解はしているのですが、
柏木に対しては、そこまで決めたなら腹くくってとことんやれや!
結局体面を気にしてるんかい!と思ってしまいました)
なんで鷹野はそんなに柏木のことが気に入っているのか、
さっぱり分からないなぁとも思ったり。
ただ、考えてみたら、
きっと鷹野は色んな好奇の目にさらされることに、慣れてはいるけど飽きてもいて。
そんな中で柏木は、頑固だし何考えているか顔に出るから分かりやすいし、
自分のことで常にいっぱいいっぱいだから鷹野に遠慮もなくて、
鷹野にとってそんな人は案外珍しくて、心安く付き合えたんだろうな。
素でいられるというか、自由にできるというか、気を遣わずに済むというか?
「僕は今まで、君のことを享楽的で権威主義のスノッブだと思っていた。いや、君の家柄、君の才知、君の……美貌だったら無理からぬこととは思ってもいたがね、だから君が……スコットランド・ヤードも、新聞も相手にすらしない……若くもなく、美しくもない、貧しい売春婦の殺害に怒りを持って捜査に当たっていたというのに驚いたんだ。見直したよ、いや、別に、今までだって……」
「解ったよ」と鷹原が遮り、笑った。「君はあわてればあわてるほど本心が出て、面白いね。君のお説通り、僕は享楽的な権威主義の上品ぶった俗物だ」
やっといつもの鷹腹に戻ったことにほっとしながら、僕はますますあわてた。「違うよ、僕が云いたかったことは、君が思っていた以上に真面目で仕事熱心だということだ」
「解った、解った」と鷹原が軽く応え、牡鹿のようにしなやかに、機敏に起ち上がった。「そろそろ夕食にしないか?ボーモント夫人が下でやきもきしているだろう」(P152〜153)
いや、もう、ねえ…仲良しか!
鷹野の友人たちは、彼の美貌や才知に憧れ近づきたいと思う一方で、
彼の出自を知っている人は、どこかで彼のことを見下してもいたんだろうな。
あるいは、ただただ彼におもねるだけの、卑屈な隣人しかいなかったのか。
柏木の面倒くさい性格ゆえに、鷹野と相性良く付き合えるのかもね。
そう思うと、一周回って柏木も可愛く見えてくるな、と思うのでした。
時代の狭間の若者たち
1880年代の日本といえば、鹿鳴館が完成した頃。(1883年ですね)
鎖国によってもたらされた西洋との差を埋めようと躍起になっていた頃。
その先遣隊として派遣された優秀な留学生たちは、
母国の役に立ちたいという使命感と、
目眩を起こすほど乖離のある西洋の豊かさ、翻って自国の弱さを感じ取り、
それぞれが悩み、迷いながら必死に生きていたんだろうな、と思う。
そんな中で、まさにお悩み中の柏木と鷹野が交わした議論が興味深かった。
「だが、それでは帰れないよ。君はまったく気にもしていないようだが、僕らは国の金で来ているんだよ。貧しい政府が、西欧にすこしでも追いつこうと、大金をつぎ込んで……いわば国の期待を一身に背負って、送られて来たんじゃないか」
「国だって?国とは明治新政府のことかい?つまり、政府の都合で、西欧に追いつかなければならないから、優秀な頭脳にせいぜい西欧の文化なり、学問なりを詰め込んで引き揚げて来いというわけだね。だが、政府とはなんだい?その場その場の都合で、国民なる者を勝手にあやつる怪物じゃないか。(中略)こんな国がどこにある?こんな政府がどこにある?精養軒で気取って洋食を召し上がった公爵が、英国の門番小屋のような家に帰るやいなや、茶漬けを食べてほっとしているんだ。でたらめな国のでたらめな政府のでたらめな金を使ったからといって、この頭脳を、精神を、うやうやしく差し出さなければならないと云うのかい?」(P222)
国のために死力を尽くすことがおそらく常識であった時代に、
鷹原の言葉はどれだけ異様に聞こえたことだろう。
もちろん身も心も全て差し出す必要はなくて、
みんなにはみんなのそれぞれの人生があるのだから。
でももし、お金ばっかり使って何も還元しないとしたら、
(そして鷹原の発言はそのように聞こえる)
それは流石にちょっと違うんじゃあないの…?と思った。笑
ところで、椎名林檎さんの「ありあまる富」という名曲をご存知でしょうか。(唐突)
httpss://youtu.be/GvHmMv2JHDk
この本を読み終わって余韻に浸っているところで知った曲なのですが
個人的な鷹野のイメージソングになりました。
もしも彼らが君の何かを盗んだとして
それはくだらないものだよ
返して貰うまでもない筈
何故なら価値は生命に従って付いている
なんていうか…先程引用した議論の内容と少し重なるところがあるというか…
鷹野が街中で出会ったいじめられっ子の少年に
語りかけているような調子に聴こえませんかね?(妄想が過ぎる)
曲も歌い方も素敵なので、ぜひ一度聞いてみてください。
元気が出るよ٩( ᐛ )و
エレファントマンやスッシーニのヴィーナスなど仄暗い好奇心を誘う仕掛けもあり、
(読後にエレファントマンのウィキペディア読んでみると二度美味しい感じがあっておすすめ)
地獄の火クラブという単語が出てきて、
「うーん、ヘルファイアクラブ…アルモニカ・ディアボリカかな!?」と興奮したり…
濃密な読書体験ができる一冊でした。楽しかった。
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