過酷で過激な常陸孤児兵の運命を目撃せよ「裸者と裸者」

発売当時、タイトルと表紙が印象的(二作目の「愚者と愚者」を見たのだと思う)だなと思っていた本作、角川サブスク対象になっていたので、ちょうどいいなと思って読み始めました。

※ちなみに、角川サブスクを2ヶ月体験した感想記事も書いたので、利用を検討してされている方はぜひご覧ください🙂

https://sunset-rise.com/summary/kadokawa-subscription

(上下巻で表紙の表示がバラバラなの気持ち悪いよぅ)

気軽な気持ちで読んでみたら、表紙のティーンズ感からは想像もつかない程、凄惨で力強い魅力的な作品でびっくりしたので、いっちょ丁寧に感想書いたろうかな!と思いペンを取るというかキーボードを叩くことにしました。

本作の魅力は、「見知った土地で繰り広げられる凄惨かつ生々しい内戦」「その中で家族を守るために戦いに身を投じる主人公」にあると思います。

特に、この主人公の海人少年が良いんですわ…厳しい生存競争を強いられる子供というのは、何かひとつの、共通のモチーフ(火垂るの墓とか家なき子とかおしんとか…)なのだなと思った。読み手は、苦境の中を健気に生きる少年の姿に胸を打たれずにはいられない。その幼い背中を追いかけるように物語に沈み込んでいく。

そんな本作の感想を、あらすじと↑に挙げた二つの魅力に触れながら書いていきたいと思います。

ざっくり見どころと感想

暴力表現、性描写が頻繁に描かれるので、苦手な人は注意した方が(というか読まない方が)いいかもしれません。外で読んでるとすぐに登場人物たちがコトに及ぶので焦る

R-15指定してもいいくらいだと思うんだけど、本作、主人公の少年が12歳そこそこなので、R-15だと思うこと自体が過保護で余計なお世話だな、とも思います。
でも、もし自分が母親で、中学生の子どもが本作を読んでいるところを目にしたら、悪影響が出るんじゃ無いかとドキドキしてしまうかも…笑 あるいは、どのように感じたのか、感想が聞いてみたくなるかもしれないな。世界にはそのような面もあるのだと、知ってほしいような、知ってほしくないような…

もしも日本で内戦が起こったら…という思考実験

次々に勃発した全世界での内戦により難民が日本に押し寄せたことをきっかけに、日本でも激しい内乱が勃発するという筋書き。

最初に激しい空爆が繰り広げられ、日本の主要なインフラは壊滅的な被害を受け、唯一北海道だけは戦火を逃れ自治を強めていく。
残された本州の人々は、政府軍と反乱軍の衝突や、戦乱をビジネスと捉えた利権争いとマフィアの跋扈、孤児を狙った強制徴兵、女性を狙った性暴力と人身売買に逃げ惑う日々。
一部の超富裕層は内線を逃れ、その他の市民は否応なしに巻き込まれ、命の価値は瞬く間にすり減っていく…。

余りにも過酷で、目を覆いたくなる惨状。
でも、これは世界のどこかで起こっている出来事でもあり、いくつかの引き金によって呆気なく実現し得る日本の未来かもしれない。現在の世界情勢や地政学リスクの高まりを思えば、関係無いさと笑い飛ばせない、悲観的なリアリティに満ちています。

物語の舞台は、反社会的勢力の介入により最低限の均衡が保たれた茨城県常陸市。なぜ常陸⁉なぜ茨城⁉というところも気になるのだけど、それよりも次々と北関東の地名や道路の名前が出てきて、もうそれがことごとく荒れ果てていて…まるでパラレルワールドを見ているような気持ちになりました。

下巻になると舞台が東京へ移っていき、より一層馴染みのある地名が出てきます。多摩センターがスラム街と化し、香港にかつて実在した九龍城になぞらえて「九龍シティ」と呼ばれているとかね!笑

見知った土地でもしも内戦が起こったらどうなるのか…戦争映画を見ているような、SF映画を見ているような、そんな印象を受けました。

主人公・海人少年の魅力よ

本作の大きな魅力の一つは、主人公海人少年にあると思います。と言い切っちゃうくらいハマってしまいました😂

わずか8歳の時に母親を戦争で失い、妹と弟を抱え天涯孤独になった海人。物語の序盤は、過酷ながらもどこか牧歌的な家族三人の様子が描かれ、なんていうか火垂るの墓感が漂います。

物語の書き出しは、こんな三人の会話から。

 両親の人生についてわかっていることはほとんどない。国家および自治体が管理する個人データはあいつぐ戦火で完璧に破壊された。父と母の出生地、本籍、親族の存在、どこから北関東に流れてきたのかも不明である。
「リュウとあたしは、ひたちそうごう病院で生まれたのよ」と恵は言う。
 ひたち総合病院の近くを市内循環バスでとおったときに、母がそういう話をして、恵がおぼえていたのだ。では長男の海人はどこで生まれたのか。
「ごめん、わからないのよ。たぶん、お父さんとお母さんがひたちに住みはじめたとき、ちっちゃなカイトをつれてたんだと思う」恵がすまなそうに言う。
「せんそうがなけりゃな」海人が遠くを見つめて言う。
「世界のそこが、すとんとぬけたみたいに、もうひどいことになっちゃって」恵の表情がちょっと厳しくなる。
「なあメグ、せんそうがはじまったとき、おれはうまれてたのか?」隆が訊く。
「リュウは七ヶ月ぐらいね、まだ赤ちゃん。あたしは二歳」恵がこたえる。
「おれはいくつ?」海人が訊く。
「カイトは六歳」恵がこたえる。
 家族の歴史について知りたいことがあると、男の子二人は長女の恵に訊く。

第1章 ゆがんだ真珠の国に生まれて

家族とお世話になった方への深い親愛を常に忘れず、長兄としての責任感を強く持ち、弟妹に教育を受けさせるために昼夜問わず働き続ける。その延長線上で軍隊に入り、初めて人を殺し、そのうちドラッグの密売にも関与することに。自らが所属する孤児部隊を強くするためには、優れた武器を調達しなければならないし、大切な人に安心できる暮らしをさせるにも、どうにもお金が必要なので。

けれど、自身は酒もたばこも(勿論ドラッグも)やらず、毎月家族にお金を送り続ける。部下を必死で守り、幼児を性的暴行する上官を銃殺し、けれど問われれば「まいにちにげだすゆめをみます」と答える無垢さ!
そんな様子から、海人は上官の信頼を得て、ますます戦争という組織的な殺人に身を浸していく。

清廉な精神を保ちながら汚濁に染まっていく姿を見て、ある種の美しさを感じてしまった。同時に、その共存は本当にあり得るのかという疑問と、そのままで居てほしいという願いも沸き起こってくる。
どこかで、更に深い絶望が、あるいは心身をひどく痛めるようなことが、彼の身に襲い掛かるのではないかと、読んでいて不安な気持ちにもなった。

彼が失ってきたもの、これから失い続けるものを思うと、例えどのような結末になろうとも行く末を見届けなければ、せめて読み手はそのくらいしなければ…と思わせる。
そんな、使命感にも似た没入感がどんどん深まっていくのを感じました。

決して読みやすい文章ではなく、むしろ色んな武装組織がくんずほぐれつしててめっちゃ分かりにくい話なのに、爪を伸ばすように読み進めたくなる。なんだろ、この感覚は自分が30代だからなのかな笑
見届けたいと、そう思ったのです。

小ネタとして、先ほどの引用でもそうでしたが、海人を始め孤児隊の発言は軒並み平仮名で書かれていて、それが彼らの教育を受けられなかった環境を表していて切なく感じます。ゲイコマ(芸が細かいことを会社でゲイコマって言うんだけど、これ一般用語なのかな)だなぁと。
しかもね、中盤とある事情から海人は教育を受け始めるのだけど、徐々に海人の発言が漢字交じりになってきていて、ゲイコマだなぁと(他に言い方無いのか)。感心しちゃいました。

上巻の中盤から出てくる月田姉妹(桜子・椿子)もいいキャラしているし、海人の上官になる女性司令官の白川将校も恐ろしくてカッコいい(恐ろしいほどカッコいいのではなく、恐ろしくてカッコいい笑)。
葉郎やエンクルマといった孤児兵たちも愛らしい。
海人少年だけでなく、大勢のキャラクターがひしめき合い、殺し合い、時には笑い合い、酒を酌み交わし、情も交わす様に「生きてる!」感じがして、なんとも眩しいのです。

LGBTを描く先見性もすごい

本作は単行本の発売が2004年だったのですが、いやぁ今の時流を押さえているというか、特に下巻以降は、LGBTど真ん中を描くって感じで、先見の明があるなと思わされます。

LGBTとは、女性同性愛者、男性同性愛者、両性愛者、トランスジェンダーの各単語の頭文字を組み合わせた表現である。 LGBTという用語は「性の多様性」と「性のアイデンティティ」からなる文化を強調するものであり、「性的少数者」という用語と同一視されることも多々あるが、LGBTの方がより限定的かつ肯定的な概念である。

ウィキペディアより

LGBTと言う言葉は、欧米では1990年代から使われていたそうなのだけど、日本では2015年に渋谷区が同性カップルに「結婚に相当する関係」と認めるパートナー制度を導入するなど、ここ数年で一般化されてきた用語だと認識しています。

本作の下巻(サブタイトルが「邪悪な許しがたい異端の」!かっこよすぎやしないか)では、上巻で海人少年が出会う月田姉妹というイかれた双子が主人公となり、彼女たちが少女ギャング団“パンプキン・ガールズ”を組成するストーリーになっています。

この、戦争を男性だけのものとせず、女性が主体となる形もあるというスタイルが斬新で面白い。
そして月田姉妹はは相手がどんな人であろうと、ゲイであろうとレズビアンであろうと、バイセクシュアルであろうと、トランスジェンダーであろうと、フラットに付き合い、あらゆる人種差別を否定する。
(実際、彼女たち自身が男の子とも女の子ともコトに及んだりして、それでうっかり娼婦に扮装した刺客に襲われて超ピンチになっちゃったり、混沌としていて、それが痛快で頼もしくもあるのです)

彼女たちのスタンスがまさに、まだまだ男性社会的な意識が残る日本社会を吹き飛ばすような、LGBTの在り方なんじゃないか(かなり強めだけど笑)と思ったりしました。

LGBTなんて単語のなかった2004年にLGBTど真ん中を描く、その先見性!すごいなぁと感心しきりです。
(海人少年は、女性が戦争に参加するのは反対で、参加しても後方支援に徹して欲しいと考える派で、わたしも心情的にはそれに賛成ですが)

正直、いろんな武装勢力が衝突したり同盟を組んだり、政府軍も分裂したり統合したりで、戦況は理解できていない部分が多々…😇笑
どこそこの軍勢が何人で、負傷者は何人で、誰の手足が千切れて、装備がどうだとか、どの地点を封鎖してとか…難しいんだよ!(ギャオン
何が言いたいって、戦況はよく分からなくても物語は十分楽しめます、ってこと。分からなければ斜め読みで十分です(謎の自信)。

(余力があったら、誰がどこに所属してて、どことどこが対立してるみたいな、勢力図を図示したいな…)

以降、ネタバレ感想が続きます。未読の方はご注意ください😷

未読さんはそっ閉じ!ネタバレ感想

戦況を追うのが難しすぎる点の他にも、もっとこうだったらいいなぁ、と思う点がひとつだけありました。

それは、(敢えてだと理解していますが)もうちょっと海人以外の心理描写も読みたかったな、ということ。

群像劇が昔から好きなので(伊坂幸太郎作品とか、恩田陸の「ドミノ!」とか、薔薇のマリアとか!!!)、個性豊かなキャラクターが大勢登場すると、どうしても群像劇仕立てだったらいいのにナァ、と思ってしまう。

月田姉妹の心理描写は多少あるものの(彼女たちの思考は読んでも常人には理解できないし笑)、その他人物たちの本心が窺い知れないところが多くて、感情移入が進まず、感情移入できなければ、彼ら彼女らが取る行動が突飛なものに思えてしまうし、やっぱりそのキャラクターに深い思い入れを抱くことも出来ない訳で。

例えば、魚屋のおばちゃんは、どうして夫が死んだ日に海人をレイプしたのかな?喪失感?悲しみを埋めるため?実は海人のことが好きだったけど、夫がいる限りは慎んでいたってこと?海人の誠実なプロポーズを、彼の将来のために断るほど強い意志があるのに、どうしてそんなことを?(そうは思いつつ、海人と素敵な関係を築く大人でタフネスは里里奈さんのことは勿論素敵だなと思っています)

例えば、白川将校はどうしてあの午後の日、乱痴気パーティーをしたのだろう。クリストフへの怒りや嘲り?ストレス解消?海人を利用しようとしたことへのお仕置き?(これはないかな)
読み手に想像させるような書き方でもなかったから、筆者は白川将校のことを、考えの窺い知れない、けれど透徹した信条のある人物として見せたかったのかな…という想像をしました。

ここまで書いてて気づいたけど、もしかしたら、そもそもわたしが小説に求めるものが、「考え方や感情の多様さに触れたい」ということなのかも。
誰が何をどのように考えるのか、どのように感じるのか、そういうことが知りたいのだと。
だから、心理描写が巧みであればあるほど、登場人物のポリシーや考え方に一貫性があればあるほど、魅力的な小説だと思う、傾向にあることに気づいた。
それはわたしが、多くの物語を通して、人はみんなそれぞれの価値観があること、だからその帰結としての振る舞いも多様で、みんな違うから面白いし愛おしいことを、学んできたからかもしれないな。
本作は、その意味でわたしの求める作風ではなかったかな。ああ、だから心理描写が一番多く描かれる海人に、親戚みたいな親愛を抱いたのかも。

今度から、そんな心理描写たっぷりで思考の海に溺れるような作品に対して、「こってりモノローグ」ってタグを付けることにしよう🤔

さて、話を元に戻して。
下巻のラストで、敵対するテロ組織の襲撃に合い死んでしまった桜子。生き残った椿子が、ショックのあまり”いったい自分が双子のどちらなのか分からない”と呟く様子が印象的だった。恵がすかさず、あなたは椿子だと断言していたけど、恵は確信があったのかなあ。生き残った方の心を救うために、とっさに決断したんじゃないかと深読みしてしまう。

果たして海人は戦争を終わらせることが出来るのか、椿子は半身を失いながらどんな風に生きていくのか…続く「愚者と愚者」も読まなきゃ!という気持ちになる、引きの強い終わり方だった。

次巻にも期待!するだけに、完結作「覇者と覇者」が著者逝去のため未完なのが、本当に惜しまれるなぁ。未完でも、発売してくれただけ、ファンにとっては有難いのかもしれないけど。

(とても大好きな作家さん、向山貴彦さんが、「ほたるの群れ」というこれまた傑作を執筆中に急逝されて、とても悲しかったし、物語の続きが、血みどろの中学生たちが大切な日常をきちんと取り戻せるのか、見届けられないことが寂しかった、ことを思い出しました)