甘酸っぱく愛おしい愚かさ「私はあなたの瞳の林檎」

 中学校の三年のときだったか、英語の時間の雑談で「You are the apple of my eye」ってイディオムの意味が《あなたのことは目に入れても痛くないほど愛してる/大事だ》だと教えてもらったとき、皆はリンゴがどうしてそんな意味を持つのか判らなくて混乱していたようだったけど、僕がそうじゃなかったのは、隣のクラスにいる鹿野林檎のことがもうずっと好きで好きでその慣用表現にぴったりだったからだ。

私はあなたの瞳の林檎 P2

疾走感溢れるロックな文体が特徴的…という印象の強かった舞城王太郎さん。
とにかく癖がすごい舞城王太郎さん。

というイメージが、とてもいい意味で覆された一作だった。
(ちなみに、癖がすごいやつが読みたいのであれば、「世界は密室で出来ている。」がおすすめです)

まずね、表紙がかわいい。おしゃれ!

そして、とにかく、表題作「私はあなたの瞳の林檎」がとてもよかったんだ!

自分の恋心に対してやたらと堂々としている主人公・戸ヶ崎少年と、彼の大好きな大好きな少女・鹿野林檎ちゃんの恋の行方を描いた作品です。

このね、戸ヶ崎少年がとてもいい感じなんだよね(詳しくは後述)。こんな男の子が近くにいたら、わたしは絶対好きになっちゃうと思います。

そんな彼の真っ直ぐな気持ちを、とある事情から受け止めきれない林檎ちゃん。こんなに好きだと伝えているのに、林檎はちっとも自分の気持ちを信じてくれない…と悩む戸ヶ崎くんがかわいいんだ。

でもね、彼の言葉はちっとも受け取ろうとしないのに、そのくせ林檎ちゃんったら、不意に戸ヶ崎少年にキスしちゃったりするんだよ!
戸ヶ崎少年はそりゃもうびっくりする訳ですよ。あれ?林檎は僕のこと好きじゃないんじゃないの?みたいなね。読んでるこっちがそわそわしちゃいます(そわそわ)

甘酸っぱさと、懐かしさと、優しさのあるお話だなって。

終わり方も勿論よかったのだけど、

「連作短編集であってくれ…!頼む…!もっと続きください…!二人の行方を読ませてください…!」

と、読み終えた後に祈るように続きを読んだら、全くもって連作でなくてしょんぼりしたけど、笑 残りの二作もそれぞれ秀作で、舞城王太郎の進化を見たよ。

桜庭一樹作品が好きなら、特に刺さるかもしれないです。似た雰囲気を感じたな。主人公が語り手となり、一人称で話が進むところとか。

各話の感想は以下の通り。
(ちょっとネタバレもあるので気になる方はご注意ください!)


私はあなたの瞳の林檎

戸ヶ崎少年の何がいいって、真っ直ぐなところ。常に林檎ちゃんを優先してしまうちょっと変わったところも、可愛い。

例えば、小四の時に目撃してしまった修羅場(母親が自分の娘を駅の階段から蹴り落とす)で、すかさず林檎ちゃんをキャッチしたかと思ったら、
「鹿野さん、大丈夫だよ。今日のこと誰にも言わないから」
と林檎ちゃんにささやくとか!小四にして、なんて紳士!

それから、春休みに毎日遊ぶことになって、とにかく遠くに行きたがる林檎ちゃんをなだめるために、「今日はもう帰って明日海を見に行こう」と言ってのける優しさ!

さらに、風邪で寝込みながらも林檎ちゃんとの待ち合わせに何とか駆けつけようとするひたむきなところも。
(お母さんが優しくてそれも最高だった。息子がお弁当作ってたらそわそわしちゃうよね〜〜〜)

さらにさらに、何と言っても林檎ちゃんから「勉強とかもしなよ」って言われたから勉強もしてみたら全国100位以内になるほどの実力なんだけど、林檎ちゃんと同じ高校に行きたいから、そんな成績だってことを親にも誰にも内緒にしちゃう、ちょっと変わったところもかわいい!

「今日俺、自分の恋心に堂々としてるのを笑われたけど、ふざけてるわけじゃないし、もちろん鹿野さんのことからかってる訳でもないから」

 すると林檎がほほえみながら言う。

「知ってるよ。戸ヶ崎くんはそういうことする人じゃないもんね」

「判らないけど、うん、良かった」

「戸ヶ崎くん、でも私、少し恥ずかしいから、皆の前で呼び出したり、控えてくれる?」

「わかった」

「あと、ごめん。こういう風に告白って言うか、好きだって言ってくれることも、ありがたいんだけど、困る」

「そっか。ごめん。どうしたらいい?」

「う〜……ん……」

「伝えたいって気持ちはあるから、できるだけ我慢して、ここぞというときにだけ伝えるよ」

「……うん、まあ、それでいっか。でもさ、戸ヶ崎くん、私のことばっかりじゃなくて、部活とか勉強とかも、しっかり頑張ってね?私知ってるよ、戸ヶ崎くん野球も得意だし、頭良いよね」

 と林檎に言われて僕は集中することにして、中三の夏、キャッチャーで六番で都の大会で三位になり、模試で全国百位以内に入る。結果は親にも教えない。学校でのテストは適当に加減している。僕は林檎と同じ高校に行くつもりだったので、余計な波風を立てたくない。

私はあなたの瞳の林檎 P54
いや、爪隠し過ぎでしょ戸ヶ崎くん!

そんな風な思い方をされたら、誰でも林檎ちゃんみたいに戸惑ってしまうだろうな。

「なんでわたしなの?」って。
それと、後半で林檎ちゃんが一転して攻めに転じるところも、もだもだしたよね… 戸ヶ崎くん、いきなりタジタジで笑った。林檎ちゃん、魔性の女の子ですわ…

二人の恋模様だけでなく、懐かしさが漂うところも刺さったポイントです。春休みに、2週間の間、毎日二人だけで遊んでいた戸ヶ崎くんと林檎ちゃん。でも、そんな”いつもの”約束は、春休み最終日にあっさりと終わってしまう。

戸ヶ崎くんはなぜ唐突に遊ばなくなってしまったのか、その理由が分からないけど、中学で林檎ちゃんに会っても、その理由を尋ねることができない。というより、尋ねることをしない。そして、それで構わないと思っている。

 昨日からそのときまでずっと不安だったけど、でもそれが途切れる。何かが壊れたとか損なわれたんじゃなくて、ただ終わったのだ。時間とか期間とかが、音もなく。もうどうしようもないんだな、と思ったことで、ちょっとホッとした。いろいろ思い悩む必要がなくなったから。林檎とは突然遊び出したので、突然それがなくなることも受け入れられた。裏切られたとか切り捨てられたとかじゃなくて、単純に終わったのだから、しょうがないし、別にいい。

私はあなたの瞳の林檎 P49-50

ある日突然仲良くなって、突然それが終わる呆気なさとか、そういえば、子供の時の友情って結構そういうところあったよな、と思い至った。

今はもう、そんなことできなくなってしまったから。仲良くなるにも、それが終わるのにも、理屈や理由が必要になってしまったものね。

ああ、お話のその先の、二人の今後が、とても気になるなあ。


ほにゃららサラダ

美大生の話って、あまり読んだことが無かったから新鮮だった。
ちょっとエキセントリックな「ハチミツとクローバー」って感じの作品。笑

わたしには共感はできないけど、「でもそのようになっているのかも」と理解と納得はできる、少し遠い世界。

何か一つのことに打ち込もうとする集団がいて、その集団の中に恋愛が混ざってしまうと、優先したい要素が多くなってもつれてしまう。

極端にシンプルに言うと、何事もそう言う側面はあるよね。

この作品でも、相手のことが確かに好きなのに、その眩しい才能のそばに居続けることの辛い、とか、恋愛の前に自分は“表現者”でありたい、とか、ほらもうややこしい!
それもまた、今のわたしから少し遠ざかってしまった世界で、少し寂しく、眩しく映った。

正直高槻くんの「冬の村の十字」がどんな作品だかは、読んでも頭の中に像が浮かんで来ないんだけど、「cross」シリーズは見てみたいなと思う。冬の福井の静けさを感じてみたい。

(他の二作に比べあっさりした感想になっちゃった、二作が好みすぎて…)


僕が乗るべき遠くの列車

本作は、「自分は長生きしないだろう」と思い込んで厨二と化した少年と、彼の女友達である鴨さん(という名前)のお話。

鴨さんの攻勢に転じるところが良かったなあ。

「え?何?お説教でもされんのか?」

 と言いながら正座を始めると菊池鴨がニコリともせずに言う。

「正座でも何でもいいよ。お説教はしないから。でもとにかく、えーと、倉本さ、私と付き合わん?」

「ん?どこに?」

「いやどこかに行くんじゃなくて、私と、彼氏彼女になるつもりはないかって聞いてるの」

「ええっ?何で……何でそんな、……いやちょっと待って。そもそも鴨さん、俺のこと好きなの?」

「好きやで?私には倉本しかえんよ」

「えっ、そう?そんな感じ全然……」

「そりゃ見せんようにしてたもん。私、慎重やったから」

「何で?どういう意図があってそんなこと……」

「ほやかって、中学生の恋愛とか大人になるまで上手く実らせてく自信なかったんやもん。私も倉本も、全然未熟やったやんか」

「……ええ?ほんで、大人になるまで待ってたってこと?でもまだ二十歳前やけど」

僕が乗るべき遠くの列車 P203〜204

恋を実らせるために、大人になるまで告白しなかった…!
その間に相手が誰かとくっつかないように、それとなく対処していた…!?
えっ、すごいなぁ!?(困惑)

もうね、魔性ばっかりなの、本作の女の子。

確かに、中学生の時に付き合った人と結婚するかと言われると、それはかなり難しいことのようにも思うものね。その意味では、鴨さんの賭けは見事に成功したと言えるよね。

あと、福井弁がかわいいんだよね。関西弁ともちょっと違う、ちょっと素朴な響きのする音たち。ああ、いいなぁ~~~~と、微笑みたくなる。

それから、もう一つの魅力が、無常感を抱えた倉本少年ね!

「どうせ死ぬのだから何をしても意味はない」みたいな感覚って、誰にでもあるものかな。

わたしも、そんな風に考えることって、実は割とよくあるから。だからもう何でもいいやって、色んなことを許せもするし、諦めていたりもする。それを言っちゃあおしめぇよ!と思うから、口にしないだけで。みんなそうなのかもな、倉本少年だけじゃないし、わたしだけでもない。みんなそんなもんなのかも。
そんなことを思った。

甘酸っぱくて、懐かしくて、眩しい、あの頃の愛しい愚かさ。
さらっと読めて、心に残るものがある、なかなかの良作でした。