隠れすぎた名作「一滴の嵐」が描く少年の関係性が胸に刺さったまま抜けない
ここに、ひとつの隠れすぎた名作がある。知っている人に出会ったことがないし、今後も出会うことはないかもしれない。でも、好みに合致する人の心を掴んで離さない、そんな作品です。そんなに隠れてないでもっと表に出てきて欲しい。
歴史の狭間で揺れ動くアルザス地方を舞台に、貴族の少年と貧乏な少年の成長を描いた物語。
Contents
きっかけから語りたくなるタイプのオタク
確か10年くらい前に、とある方の読書ブログで紹介されていたのをきっかけに読み、おそらく今回が3回目の再読。
(余談:二次創作サイトの一つのコンテンツだったように記憶しているのだけど、紹介がとても上手で、その方がお勧めしている作品を大学生の頃片っ端から読んでいたのを思い出した。霊応ゲームも薔薇のマリアも、同じ方のブログがきっかけで読んで、大好きな作品になりました。有難うございます(小瓶を海に流すかのようなお礼))
改めて読んでみて…、まァ〜〜〜〜〜〜面白い!!全く色あせない!
それどころか、再読によって気づくというか意識が向くところも沢山あって、上質な物語をたっぷりと読むって素晴らしいな…!としみじみ思った。
主人公二人の関係性がとにかく素晴らしいこと(階級差のある二人がそれぞれの鬱屈と愛着を投げつけ合う様子が胸にクる)、そして寄宿学校での少年らの自意識のぶつかり合いや見聞を広げることによって自己が形成されていくさまが、やや小難しくも丹念に描かれていて…きっと構想・執筆に多くの時間を掛けたのだなと思わせる超力作。
タイトルも表紙も硬派だし、開くと2段組みで、ページ数も355ページとボリュームたっぷりなので、何かきっかけが無いと読んでみようとはならない作品だと思うけど、隠れているのが勿体ないほど好みど真ん中なので、ここはひとつ、なんとか作品の魅力を紹介していきたいと思う(腕まくり)。
とっつきにつくく感じるのは、物語に大きく関わる地理・歴史的背景に馴染みがない(アルザスってどこ?1847年〜1854年ってまたどんな時代なのかよく分からない…等)からだと思うので、そこも何とか…勉強して、おこがましくも解説を試みた。
※とはいえ正直、予備知識ない方が読むの楽しいと思うので、「関係性・巨大感情・少年の成長」と聞くとちょっと気になる…という方は、とりあえずお近くの図書館に蔵書があるか(残念ながら絶版なので)を検索してみて欲しい。笑
それでは、まずはあらすじと著者など、周辺情報から。
あらすじと著者等について
ある一人の黄金の少年が僕を見つけたとき僕は野犬と変わりなかった。時は19世紀半ば。アルザスからいつの日かパリへ。反発しながら強く惹かれ合う二人の少年―。第17回太宰治賞受賞作。
筑摩書房HPより
小島小陸(こじまこりく)1976年生まれ。第17回太宰治賞受賞。
情報無さすぎか…?
何とかもう少し情報を…と思って調べてみるけど、「審査員の満場一致で一滴の嵐が受賞した」くらいしか情報が無い。小島さんはその後、少なくともこのお名前では執筆活動を行なっていないようです。何て…何て勿体ない…
情報がないので、ここで太宰治賞(存在を知らなかった)についても紹介しておく。
「太宰治賞」は1964年に筑摩書房が創設した、小説の新人賞です。この賞からは吉村昭、加賀乙彦、金井美恵子、秦恒平、宮尾登美子、宮本輝、福本武久の各氏など、多くの作家を世に送り出してきました。
筑摩書房HPより
1978年、第14回を最後に中断しておりましたが、1998年、太宰治没後50年を機に、筑摩書房と三鷹市の共同主催の形で太宰治賞を復活いたしました。
以後、毎年、津村喜久子、今村夏子、岩城けいの各氏はじめ、才能ある新人作家を世に送り出しています。
とのこと。わたしでも名前を知っている作家さんが、多くこの賞をきっかけにデビューしていて少し驚いた。(なんで三鷹市と共同主催なんだろう?筑摩書房さんの本社は蔵前にあるようだけど)
ちなみに、過去の受賞作はこちらから確認できます。(不勉強なもので、読んだことのある本は他にはなかった…)
https://www.chikumashobo.co.jp/dazai/history/
太宰治賞2001という冊子には、受賞の言葉として小島小陸さんのコメントが掲載されているらしい。今度図書館で探してみよう。
作品の魅力:関係性・巨大感情好きに刺さる
わたしが本作において最も魅力だな、と思うのは二つあって、ひとつが「関係性」について。何はともあれ、冒頭に添えられた詩を引用するのが、この作品の雰囲気を感じられると思うので以下に記します。
或る一人の黄金の少年が、僕を見つけた時、僕は野犬と変わりなかった。
P3
それから僕は、どんな者となったか。
恐らくは、拾われた野犬で在り続けた方が罪少なく生きられるだろう。
僕と彼を繋いでいる紐は何だろう?
それが分からないので、僕らは、完全な主従にも友人にも、兄弟にもなれずにいる。互いに異端である僕らを繋ぐものは、血縁や思想の類ではない。気まぐれや愛着を、縁であり愛であるというなら、確かに、僕も彼も、互いを手放せやしない。
…な?(なにが?)
この本は、主人公エーミール・シュルツェの10歳から17歳までについて、エーミールの視点から描かれるもので、エーミールは自らを野犬と書き表している。
そして上記の詩で語られる“黄金の少年”は、男爵家の跡取りの少年ジャン=ウジェーヌで、本作のもう一人の主人公にあたる。
エーミールは職人気質が強過ぎるが故に貧困を余儀なくされている父親を英雄視し愛しつつ、生き抜くために乱暴にならざるを得なかった、恐らくどの時代にも居たであろう男の子。村にある粗末な学校に通い続けることで、いつか道が拓け立身出世できるのだと信じるいじらしさも持ち合わせている。
序盤に描かれる村での困窮した暮らしと、それから野望の火を…まるでそれだけが頼りだというように…自らを奮い立たせ燃やし続けるエーミールの逞しさ、したたかさに引き込まれていく。
読者はアルザス地方の複雑な歴史背景を知っているという前提で書かれているようなところがあって、??となるところもあるのだけど、そのまま読んでいけば何とな〜く分かってくるので、あまり気にせず読み進めるのがいいと思う。
この不親切さが、却って清々しいんだな。(でも絶対分かってた方が理解が深まって面白いはずなので、後段で解説を試みます…!)
さて、なんやかんやありエーミールと黄金のウジェーヌが出会い、エーミールはウジェーヌの館に招かれ生活を共にすることになるのだけど…
この幼年期のウジェーヌ少年、天使か???と問いかけたくなるほどに可愛らしくてな。頑なだったエーミールもそりゃほだされるわと言いたくなるくらい。
例えば、エーミールがウジェーヌの住む家に一泊することになった翌朝の様子とかね、もうやばいので、引用させていただきます。(説明の放棄)
(前略)髪に残った寝癖さえ、彼だと、花を飾ったような無邪気なかわいらしさだった。彼は走り寄って来ると、両の手のひらで筒を作って僕の耳に当て、「グーテンターク」と囁いて返し、「昨日の夜、僕、神様にお願いしたんだ。明日の朝は、君に一番におはようっていえますようにって。ほんとに叶っちゃった」と興奮に頬を赤くした。
P54〜55
…な?(だからなにが?)
そんな風に親交を深めていく二人の少年には、それぞれの懊悩があって、その心理描写・人物描写が(やや堅苦しいものの)物語に魅力を与えていく。
ウジェーヌには複雑な出生故の鬱屈があり、彼だけの挫折と絶望を抱えている。
エーミールには立身出世のためにウジェーヌに仕える打算の奥で、真実彼を(恋愛という意味ではなく)愛してしまう恐ろしさを抱えていて、二人は近づいては反発しあい、離れては引かれ合い、分かち難く結ばれていく。
結び目は複雑で、決して綺麗では無いけど、誰にも、本人たちのも解けやしないとでも言うような…。
そう思うと、冒頭に引用した詩が存在感を持って立ち上ってくる。「互いに異端である僕らを繋ぐものは、血縁や思想の類ではない。気まぐれや愛着を、縁であり愛であるというなら、確かに、僕も彼も、互いを手放せやしない」と。
ほらもうこんな関係性、互いが互いに抱くクソデカ感情のぶつかり合い…、面白くない訳が無いでしょう!(大声)
作品の魅力:少年の目が開かれる時、読み手も世界を知る
これまで上に書いた「主人公二人の関係性〜巨大感情の衝突を添えて〜」が作品の魅力だなと思っていたのだけど、再読して気が付いたのは、この本の主題はそれらのやり取りを通じて描かれる、野犬だった少年・そして挫折を抱えた天使、それぞれの成長なのだ、ということ。
ひどく当たり前だしテーマとしては王道とも言えるけど、そんなことにも気がつかないくらい、初読時は二人の少年に夢中だったのだな。笑
改めて読むと、ひたすらにエーミールが幼く、ただいじらしく感じて切なくなった。強がって自分を大きく見せようとしているけれど、父親を英雄視し、学友と喧嘩する一方でウジェーヌの愛を乞う一人の少年なのだ。
そんな彼が、特に学校生活における他者との関わりをきっかけに、視野を広げ、自己を省みて、必死に物事を考える様子に胸を打たれた。子供の成長は世界共通の宝なのだな…。
そうして気が付けば、エーミールの目を通して、わたしも世界を一緒に見つめ直しているのだった。
エーミールが世界の真実に一つ触れるたび、何かを学ぶたび、読み手も一緒に触れて学ぶような…つい一緒に小難しいことを考えたくなるような…(なので、今回の文章はちょっと気取った仕上がりになっている笑)
没入感や主人公との一体感をこれだけ感じられるのは、それだけ文章が巧みで自然だということだと思う。
読み終えてみて、遠い国の風の匂いを嗅ぎながら、歴史が紡いできた物語の厚みを感じ、文字を目で追い、自分の頭の中で組み立てていくのは素晴らしい喜びだな‥としみじみ思った。
心をくすぐり、満たし、さざ波立たせる物語に身を浸し、過ぎていく休日のなんと贅沢なことよ!
読書は最高の趣味だな、と改めて思ったりもした。
そして再読したからこそ、わたしはかつてこういう世界を心から愛していたことを思い出せた。
物語の力を借りてまだ見ぬアルザスを歩き回り、いつか実際にその場所を訪れてみたいと願っていたこと。あらゆる憧れがヨーロッパという(ざっくりしてるな笑)舞台に詰まっていて、石畳の街を歩き、言語を解し、緑の匂いを嗅ぎたいと願っていたこと。わたしの芯に、中心に近いもの、わたしの自我を形成するのに、物語たちが側に居てくれたこと…。
親しんだ本を再読することは、ともすると自分でもうっかり忘れて置いてけぼりにしてしまう自分の一部を拾い集めるために在るのかもしれないなぁ、と思った。
だとすると、こうしてそれを発信することは、その一部を再び落とさないように、あるいは落としたことに気がつけるように書きつけた備忘録だし、もしかしたら誰かにとっての覚書なのかも。なんちって。
※作品の小難しさにだいぶ影響を受けた仕上がりになっています※
ここから先は、読んだ方にしか伝わらないネタしか書いていないので、読まなくてもいいです。
未読の方は、重大なネタバレがあるので読んではいけませんよ。もし気になって読んでくれたなら、その後にもう一回続きを読んでね。
※インターネッツ界で、最もこの本について書いた記事になる自信がある、ってくらい長い。すごく長い。申し訳ない。
考察:相関図で見る物語の奥深さ
まず愛が溢れすぎて、仕事終わりに相関図を作るなどした。
灰色は故人、黒は関係性、赤は感情を表している、つもり。
(クリックで大きくなるよ!)
横文字ズラズラでやや取っつきにくい(名前が覚えにくい)、海外を舞台にした小説だけど、こうして書き出して見るとそんなに登場人物は多くないかも。音楽学校では様々な生徒が出てくるけど、モブとして登場していて名前が出てこないので。
相関図を見てみて、主人公はもちろんエーミールでありウジェーヌなのだけど、フランツ・ローテとクヌート、この二人が物語をグッと引き締めているように思った。
一度はストラスブールに出たものの、学費援助が打ち切られヴォージュの村に戻るしかなく、その後は陰気な水車小屋の教師としてひもじく生きるしかなかったフランツ・ローテ。そしてかつてエーミールの悪友(友情という概念はあまり無さそうだけど。仕事仲間みたいな?)で、トロッコ押しの仕事につくものの事故で片腕を失い食い扶持を失ったクヌート。
ストラスブールで健やかに育つエーミールの姿は、一歩違えば夢破れたフランツ・ローテのものだったかもしれない。そして悲しいクヌートの物語だったかもしれない…。
クヌートがエーミールにぶつけた激しい憎悪も、読み手とてはよく理解できる。けれど決して二人が入れ替わることもないし、クヌートの人生が好転する見込みもなくて、とにかく痛まし、悲しい場面だった。
それから物語の最後も、フランツ・ローテの描写だったね。
やや観念的な終わり方で少し拍子抜けしたけど、生きた死人のようだったフランツ・ローテが舟を漕ぎ出していくという描写は、すべての挫折を抱えた若者へのエールなのかもしれない、と思い至った。きっと、村を出たフランツ・ローテのその後は誰も知らないし、語られることもないのだと思う。
もしかしたら社会的成功を掴んでいるかもしれないし、再び敗北してのたれ死んでいるかもしれない。結果は多分、重要ではないのだろうな。
考察:主従であり友人、垣間見える屈辱と支配…二人の関係性
人と人との、明文化し難い”関係性”を取り扱う創作にどうしてこんなに惹かれるのだろう。
関係性なんてものは時間やちょっとしたきっかけで有機的に変容し、形を変えていく曖昧模糊としたもの、けれど確かに、そこに”何か”があるもの。
そんな言葉で言い表せないものに対して、だからこそ言葉を尽くしてその”関係性”を削り出そうとする、表現の奥深さを愛おしく思う。
そして、言葉にできない”関係性”には、必ず「巨大感情」がセットになっている。
わたしがこの言葉を知ったのは、2018年に公開されて大ヒットとなった劇場版名探偵コナン「ゼロの執行人」の感想をしたためたとあるツイートだったと思う。(久しぶりに拝見したくて探したけど見つからなかった…)
この映画は安室さんのフィーバーっぷりがとにかく話題だったと思うけど、登場するオリジナルキャラ日下部さんが、同じくオリジナルキャラの羽場さんに、まさに巨大としか書き表せないほど重たい感情(映画上は恋愛感情ではない)を抱いており、一部の視聴者をざわつかせていたのだ。
確かそのツイートでは、日下部さんが「同性間巨大感情男」と紹介されていたと思う。今思い出してもフフッとなっちゃう。よく言ったものだなと。
本作に登場する二人の主人公、エーミールとウジェーヌも、互いに巨大感情という言葉がぴったりな感情に覆われている。
恋愛だったならむしろ簡単かもしれなかった。友情というには身分が違い過ぎた。主従だとしたらあまりに曖昧過ぎた。名前なんて付けられないけど、確かにそこにあるもの。
……良いッ!(握り拳)
彼らの関係性の変化が繊細に描かれているのも素晴らしい。7年間で色々なことがあったんだね…とつい思いを馳せてしまう。
初対面の時、エーミールはウジェーヌに対して屈辱を抱いていたのだよね。切ないけど、当然の感覚だとも思う。
梳いたようにきれいなカールの睫毛、滑らかな額と鼻、軽く結んだ薄い唇。そして風の冷たさに幾らか緊張している肩と、白く整った線の指、薄紅色の爪の微かな光沢。悲しげでありながら、燃えるような強い意思のこもった、真直な眼差し。ーーまるで、異国の珍しい花か鳥を目にした気分だった。本来金を払わねば見られない世界的な名画を、浅ましく盗み見たような、罪悪感すら感じた。そして激しく打ちのめされた思いがした。
P43
僕はうつむいて唇を噛み、肘を突っ張らせた。
これ以上ない屈辱だった。彼のような者の脇で自分が、こうも汚く、卑しく、物欲しげであるのは、激しい屈辱であった。
けれどウジェーヌの、犬が尻尾を振ってじゃれつくように無邪気で、拒絶を恐れ震えながら愛を乞い願うように必死な愛情に、エーミールはすぐさま陥落してしまう。
そして、尊敬する父親と別れて(ところでこのね…お父さんに対する「何と美しく、気高く、情熱に満ちて、敗北の無知に輝いているのだろう!彼ほど満たされている人はなかった。彼ほど幸運で健やかな盲目の人はいなかった」って表現…天才か?)、ウジェーヌとストラスブールの音楽学校へ行くことを決意するのだ。
ウジェーヌはエーミールに対して真っ直ぐに愛情を向け、エーミールは自尊心や自らの立場とウジェーヌへの愛情とに揺れ動きながら不器用に親愛を寄せる。
ウジェーヌは徹底的にエーミールからの愛を乞いながら、同時に彼を掌握し支配してもいる。恐ろしい子…!ウジェーヌが現代に生きる女子だったらとんでもない小悪魔だわ。
もっとも印象的かつ読者の心を鷲掴みにするのは、やはりウジェーヌとエーミールが音楽学校を卒業する前後の描写だと思う。
そこで、本作の冒頭にあった不可思議な詩の伏線が回収され、貴公子として成長したウジェーヌが見せる圧倒的支配が読み手の心臓を射抜く。
「そうだね。核心に触れるとしよう。ーー僕は君を手放す気はないんだ。君が僕を愛していようと憎んでいようと、君に否はいわせない。君に屋敷を与え、身分のある女を宛てがってでも、僕のそばにいさせる。君が望むなら、アンヌの婚約を取りやめにさせて、君と結婚させたっていい。ナポレオン軍が君を徴兵しようとしたって、君を渡すものか。アメリカでもベルギーでもスイスでも、どこへ亡命してでも、君を手放すものか」
P343
し、支配欲やば〜〜!メンヘラか〜!
長すぎて引用できないけど、この直前に語られる、貴族として生きていく覚悟とエーミールへの確固たる愛情を語るウジェーヌの独白も、大変に素晴らしい。
例えるなら、天使だと思って愛でていた坊ちゃんが目を離したスキに創造主へと進化していたような驚き…?(全然伝わる気が自分で言っててもしない比喩)
きっと初めから、エーミールはウジェーヌの従僕として振舞う必要はなかったし、もしエーミールがややこしい自尊心を持っていなければ二人の関係はもっとスムーズだったのだと思う。
でも、野心に瞳を燃やし、金銭援助という施しを恥じながらも拒めない厄介な自尊心を抱え、喧嘩っ早いが素直な心根で、父親を心から愛し尊敬する(ウジェーヌには無い確固たる家族の絆を持っている)エーミールだからこそ、ウジェーヌは深く、重すぎるほどに深く愛したのだろうな。
偶然にして必然の出会いだったのだな…有難うございます…(合掌)
解説:フランスの地理のおさらい
相関図に飽き足らず、地理感を掴むためにこんなものも作ってみた。
(クリックで大きくなります!)
物語の舞台…アルザスとかパリって実際どこにあるの?と読んでて分からなかったので図示してみた。
エーミールの故郷は作中で恐らく「ヴォージュの村」としか語られていなかったと思うけど、ヴォージュは特定の地名ではなくて山脈の名前だったのだな!読んでいて霧が深くて緑が豊かな場所、という印象だったけど、なるほど山の中だったのか(気づきが得られて嬉しい)。
それから、ストラスブールはヴォージュとパリの間にあるのだと思ってたけど、西(左)からパリ・ヴォージュ・ストラスブールの順番だったのだね。ストラスブールからパリへ成り上がる、という描写が何度か出てきていたので、地理的にも東(右)から西(左)へ移動していくイメージだった。
フランスの地図をまじまじ見ることも無いので、せっかくだからと行ってみたい観光地もプロットしてみた。
モン・サン・ミシェルはご存知って感じだよね。行ったことのある友だちの話を聞くと、「パリから遠くて大変だった」と一様に言うけど、やっぱり実物を見てみたいと思う。
そしてコルマール!知名度は少し劣るかもしれないけど、昔旅行会社でバイトしていた時に読んだ雑誌で見て一目惚れした。フランスに行く機会があったら絶対に行くと決めている。(モン・サン・ミシェル⇄コルマール間の移動大変そうだから、一遍に行くには現実的では無いかもしれないけど)
アルザスの魅力が凝縮された街、と言われるコルマール。コロンバージュ(木組み)の建物、花で飾られた家々、運河や橋など、コルマールの街は、まるでロマンティックなお芝居の世界がそのまま飛び出したようです。石畳の路地をそぞろ歩き、地方の名産品を味わい、近隣のぶどう畑を散策して……。コルマールに一目惚れしてしまうこと間違いなし!
フランス観光局?HPより
…絶対行くぞ。ちなみに、コルマールは「美女と野獣」や「ハウルの動く城」のモデルになった場所としても有名みたい。ほら行きたいでしょう?
解説:歴史背景のおさらい
大学受験は世界史選択だったのですが、その時に「アルザス・ロレーヌ地方」という用語を習った記憶がある。
世界史選択じゃない人にはもしかしたら全く馴染みがないかもしれない「アルザス・ロレーヌ」の「アルザス」が本作の中心的な舞台。
かなり複雑な歴史を背負っているのだと言うことは作品を読んでいても理解できるのだけど、フランスがどうとかドイツがどうとか、はたまたエーミールのお父さんはオーストリア人だの何だの…
作品中で丁寧に語られる訳ではないので、ふんわりと「複雑なんだな…」と言うことだけを分かれば問題ないものの、せっかくなので、何がどう複雑だったのかを勉強してみたいと思う。
※ここでは作中の年代(1850年頃)までの歴史に特に焦点を当てますので、若干偏った説明になる可能性があります。ご了承ください。
参考にしたのはこちらのサイトです。有難うございます!!
すごくざっくり言うと(細かいことを書くとキリがないので、あくまで物語の背景を凡そ理解するために記載するものです、悪しからず)アルザスとロレーヌは、フランスとドイツを並べてみたときにちょうど真ん中に位置していて、農作物や鉄・石炭の産地でもあったため、フランスとドイツの間で長いこと争奪戦が行われた場所。
☝️に貼った地図を見てもらえば、ライン河を挟んでドイツとフランスの間に横たわる場所なのだと言うことがよく分かる。
かつてフランスとドイツが「フランク王国」という名前で一つの国であったけれど、東フランク=ドイツと西フランク=フランスに分裂したときに、アルザスはドイツの領土となった。
中世までは、ずっと今でいうドイツ領土だったけれど、フランスとドイツの百年戦争(イギリスvsフランス、ジャンヌ=ダルクが登場した戦争)を通じてフランスはどんどん強くなっていって、アルザス・ロレーヌに触手を伸ばしていったらしい。
その後、三十年戦争の結果アルザスとロレーヌの一部はフランスが占領することになる。そして、最終的にファルツ戦争(フランスによる侵略戦争)によって、1697年にストラスブールを中心としたアルザス地方を領土として併合したのですって。
ストラスブール、という地名には聞き覚えがあるけど、欧州評議会や欧州人権裁判所、またEUの欧州議会の本会議場がある場所で、ベルギーのブリュッセルと共にEUの象徴的な都市の一つとなっているとのこと。
ウィキペディアのアルザス・ロレーヌ記事にも書いてあったけど、「フランスとドイツとの国境地帯にあり、フランスおよびドイツそれぞれの国から見れば地理的には辺境であるのにもかかわらず、欧州の「中心」地域になっている。欧州統合を推進するフランスとドイツの中間点にあり、なおかつ欧州の中心ということは歴史をふりかえれば非常に象徴的である。」と、確かにその通りだね。
このような歴史を踏まえ、昔からアルザスに住む人々は、「ドイツでもなくフランスでもない」独立心を持って暮らしてきたと言われていて、これが少年たちの帰属意識・民族意識を大きく揺さぶっていた理由だと、ようやく理解することが出来た。
いつか、ヴォージュの霧を抜けてストラスブールへ駆け出るのが、僕の計画した夢だった。上等なフロックコートを着、立派な校舎でタイをした教授に学び、嘲りを受けないフランス国民になることが、僕の胸に燃える野心だった。それに挑んだ少年が実際に村にいたのだから、僕ならば挑んだだけでなく果たしてやると意気込んでいた。けれども肝心なところ、僕はパリを目指しているのか、パリを蹴飛ばしてやりたいのかーー、欲しいのはフランス国民の証明か、アルザス人としての誇りかーー、自分でもよく分からないでいることに、気づいていなかった。
P6
ちなみに物語のその後について触れると、1871年(物語は1854年までだから…エーミールが34歳の時!)に普仏戦争によってフランスがプロイセン王国=ドイツに負けてしまい、アルザス・ロレーヌはプロイセン王国=ドイツの領土になったらしい。
そして、ドイツが第一次世界大戦で敗れると、一時アルザス=ロレーヌ共和国が独立を宣言したが、フランスが領有権を主張して認められ、再びアルザス・ロレーヌはフランス領となる。
最後に、1940年にナチス・ドイツが第二次世界大戦で再びフランスを破って首都パリを占領し、再びアルザス=ロレーヌはドイツの領土になったのだけど、1944年にドイツに抵抗を続けていた自由フランスがパリを奪還して新政府を樹立し、アルザス=ロレーヌは再びフランス領土へ。これが現在の国境になっているらしい。
そう思うと、終盤に生徒たちが、戦争になったときにお互いが分かるように合図を決めておこうといって、ラッパの音階で聞き分けるとか、怪我したフリして前線を抜け出そうとか、あれこれ言い合っていたことが今更ながら胸に迫る。
だって実際、普仏戦争〜第二次世界大戦によって、アルザスは再び帰属国が行ったり来たりするわけだから。
「そんなうまいけがの仕方、出来っこないよ。それにこの学校の生徒なら、大抵金持ちだから、ラッパ係なんて下っ端の役にはならないだろう」
P329
「だいいち、その合図って、いったいどんなさ?」
「ここにいるやつしか知らない曲を作るか?」
「へたをしたら、間諜や密告者と間違えられて、処刑されてしまうよ」
「それなら、吹き方に特徴をつけたら?例えば、Eの音だけ半音低くして、他は抜群にうまく吹くなんてのはどうだい?」
「他で、ほんとにそんな変なラッパ吹きがいたらどうするのさ?」
解説:登場する文化のおさらい
地名や歴史以外にも、当たり前のように出てくる用語が、わたしにとっては??だったのでまとめてみた。
堅信の儀式
キリスト教の一部教派において、信者が洗礼を受けた後、一定の儀礼において聖霊の力、ないし聖霊の恵みを受けるとされる概念のこと。「堅信」は概念を指す名称であり、「堅信式」「堅信礼」は儀礼を指す名称である。
とのこと。何をするのかも宗派によって色々らしく、具体的なことはあまり書いていなかった。洗礼はよく聞くけどね。額にお水かけるやつ。
クラヴァット
ベルばらとかで見かける、ネクタイみたいなスカーフみたいなものを首元でヒラヒラさせるあれのこと
ラ・マルセイエーズ
今ではフランス国歌、聞けば「ああ〜聞いたことあるわ」となるメロディ。フランス革命の時代に生まれた曲で、元々は軍歌だったものが市民に受け入れられ流行したらしい。作中でも触れられていたけど、1830年くらいまでは公で歌うことを禁止されていたのだとか。詳細はウィキペディアをご参照あれ。
<ラ・マルセイエーズ>の歌声に担ぎ上げられた国王が、同じ歌声に、玉座から転げ落とされる。王政が終わり、再び共和制隣、新憲法が生まれ、選び出された大統領が、手のひらを返して帝政を唱え、<ラ・マルセイエーズ>を歌って抵抗する市民達を制圧し、革命の象徴として民衆に力を与えるこの歌を禁止する。この皮肉は何であるのか。人間が、「自由」という言葉で表現しているものの正体は、いったい何なのだろう?
P228
最後に:Liberaはいいぞ
あらすじと感想、考察、解説…と自分でも驚く文字数で作品の魅力を語り尽くしここまで来ましたが、これ、最後まで読んでくれる人っているのかな?
まあいいか、最後の最後に、本作を読むのにぴったりの音楽を紹介して締めくくることにします。
ご存知の方も多いかもしれないけど、ボーイ・ソプラノユニットの「Libera」が、作中でエーミールがボーイ・ソプラノ歌手として活躍する点も含めて、本作にとても良く合っていると思う。
聖歌隊がルーツだけど、わたしたちが知っているようなキャッチーな歌も歌うし、テレビのあらゆる場面で使われることも多いので、なんかこれ聞いたことある!と思う人も多いと思う。
この記事を書きながらもLiberaを流しているし、他にも勉強したり、集中する時にもぴったりなのでおすすめです。
今度こそ、最後までお読みいただき、本当に有難うございました…!
追伸:
もしこの作品がど真ん中ストライク!という方がいたら、きっとわたしの本の好みと合致すると思うので、よければ他の本の紹介も見ていただけると嬉しいです…へへ…
個人最高評価作品のまとめ:https://sunset-rise.com/category/star5
激推し作品たちの特集:https://sunset-rise.com/bestrecommended