ザ・名著「夜と霧」に与えてもらったもの
「一度は読まなきゃ」と思う本って皆さんそれぞれお持ちだと思いますが、わたしにとってのその筆頭は長らく「夜と霧」でした。
この度コロナ陽性に伴うホテル療養期間中、という空白の数日間を過ごすにあたり、積んでいた本書を読むチャンス!と思いましてホテルまで持参しました。
(ホテル療養、お部屋がSSRだったおかげですごく快適でした……施策関係者の皆さん有難うございます&お世話になりました。ちなみにホテル療養のあれこれはnoteに書く予定です)
意外とボリュームが少ない(本編157ページ)し、文字サイズも大きいので、1日で読み切ることが出来ました。
〈わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。
では、この人間とはなにものか。
人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。
人間とは、ガス室を発明した存在だ。
しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ〉
本書は、原題を「…それでも生にしかりと言う:心理学者、強制収容所を体験する」と言います。
タイトルそのままに、心理学者でありユダヤ人であった著者ヴィクトール・E・フランクルが強制収容所(まず初めに『アウシュヴィッツ強制収容所ではなく、その悪名高い支所』と著者から断りがある)に居た時を振り返り、その時の心の有り様がどうだったかを心理学的アプローチを以って振り返るものです。
心理学的に……と言っても専門用語は殆どなく、文章も平易でとても読みやすいので、高校生以上の方であれば誰でも(重たい内容なので気軽にとは言い難いですが……)お読みいただけると思います。
世界情勢がますます不透明の昨今、また日本では戦争を最も身近に寄せて考えることになるこの8月に、本書を読んで良かったなとしみじみ思いました。
平易な文章ですから「何が書いてあるのか」は一読して理解できるのですが、言葉の一つ一つに深く広がるものがあって、「著者が描き出したかったもの」を十分に理解するにはまだまだ”読み”が足りていないなと思うところが沢山ありました。
が、読み終えた新鮮な感動が残るうちに、何が描かれていたか・何が印象に残ったかを書き残したく、読みが足りないと自覚しつつもこの記事を書くことにしました。
三段階の心理的変化
本書は大きく3つの段階に分けられています。
曰く、収容された人々……被収容者には、三段階の心理的変化があるのだとか。
入所するまで・入所している間・解放されてから……
それぞれのフェーズでの著者の体験が織り交ぜられながら、その時々の心情・何を考えていたか・何を感じていたかが綴られて行きます。
印象的だったのは文章の読み心地でした。
地獄としか思えない酷い状態に置かれ、極めて具体的なエピソードが紹介されるのですが、グロテスクさは不思議と感じさせないのです。
淡々としていて、静かで、どこかユーモアすら漂わせる。
日の沈まない白夜はこのような感じかと思わせるような……ただ延々と地獄と死がそこら中に広がっている。
ただひたすらに寒くて、絶望的な状況であることだけが切々と伝わって来る。
恐らくこれは、修飾が過剰でも不足でも無いからだと思います。
あくまで本書は強制収容所の悲惨さを伝えるのが目的なのではなく、被収容者たちの心の動きと、そこから得られる洞察を描くのだという、著者の目的意識が明確なので。
その直後、スープの桶が棟に運びこまれた。スープは配られ、飲み干された。わたしの場所は入り口の真向かいの、棟の奥だった。たったひとつの小さな窓が、床すれすれに開いていた。わたしはかじかんだ手で熱いスープ鉢にしがみついた。がつがつと飲みながら、ふと窓の外に目をやった。そこではたった今引きずり出された死体が、据わった目で窓の中をじいっとのぞいていた。二時間前には、まだこの仲間と話をしていた。わたしはスープを飲みつづけた。
P37より
もしも職業的な関心から自分自身の非情さに愕然としなかったとしたら、このできごとはそもそも記憶にとどまりもしなかったと思う。感情喪失はそれほど徹底していた。
著者が自分を聖人扱いしていないこと、自分もまた暴力や絶望に散々振り回されたことを、率直に、むしろ謙虚に語っているところにも、とても好感を持ちました。
自分はすごいんだ!という態度が全く無いのです。高潔です。それでいて温かい。
一切イキってなくてすごい(言い方)。
巻末に旧訳版翻訳者のあとがきも載っていて、訳者は著者と交流があったことが語られているのですが、そこでの著者のお人柄も素晴らしくて……尊敬すべき方だということがよくよく分かります。
さて著者によれば、入所するまで(第一段階)・入所している間(第二段階)・解放されてから(第三段階)で以下のような心の動きがあるそうです。
※※以降、大胆なネタバレが続きますので「自力で読みたいんじゃ〜!」という方はお気をつけください!※※
■第一段階
恩赦妄想、「それまでの人生をなかったことにした」、「魂をひっこめ、なんとか無事でやりすごそうとする傍観と受身の気分」、人間はどこまでも慣れる、やけくそのユーモア……収容ショック状態。
■第二段階
感情の消滅や不感無痛による自己保存メカニズム、自分や仲間の生命の維持への専念、精神退行、「日収容者がものごとを判断するときにあたりまえのように見せる徹底した非情さ」、愛や美に触れて救われれることがある、没価値化は自我にまで及ぶ、「ついにはみずから運命をその手でつかむこと、つまり決断をくだすことをしりごみさせるに至る、感情の消滅や鈍磨」、空腹と睡眠不足による肉体的要因による劣等感……。これらはどれほど長く強制収容所にいることになるのかが分からないことが苦痛をより強める。
■第三段階
完全な精神の弛緩、強度の離人症、心理的強迫であるかのように収容所での体験を語らずにはいられない、精神的な潜水病のリスク、自分も力と自由を行使して良いという思い込み、不満と失意、「もやはこの世には神よりほかに恐れるものはないという、高い代償であがなった感慨」
いずれも、なるほどそういうことか!と安易に答えてはいけないような厳かさをまといつつも、「そういうことなのだろうな……」と読み手を唸らせる説得力に満ちています。
読めば分かる。悲壮ではありますが、ぜひ恐れず読んでみたら良いと思います。
なぜ生きるのか?という問い
特に印象的だった場面を二つご紹介します。
まず一つ目は、「なぜこのような目に遭ってまで生きる必要があるのか?」「なぜ自分は生きているのか?」という根源的な問いについて。
収容所では、この問いに答えられなくなった人、すなわち生きる気力を失った人から死んでいく。
あらゆる尊厳を失い、自我すら手放すことになる特異な状況で、果たして我々はこの難解な問いに答え続けることが出来るだろうか……思わず考え込んでしまいますよね。
この問いに対して著者は、「生きる意味を問う」という章で次のように語っています。
(前略)生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。
P130より
ここは前後の文章も含めて、言い回しが婉曲的でやや分かりにくいのですが、わたしには「なぜ生きるのかを考え続けることこそが生きること」ということだと感じられました。
苦しさも死も、すべてひっくるめて生きることなのだと。
中高生の時に読んだライトノベルで「人生の意味なんてものは生ききってから自分で決めろ」みたいなセリフがあって、当時その通りだよなァと深く頷いたことがあったのですが、本書での主張に通じるものがあるな……と懐かしく思い出しました。
※作者さんは分かるのだけど、どの本のどのシーンだったかが思い出せない……。
最後に愛は勝つ
KANですね。(20代以下の方に伝わるだろうか…🤔)
次に印象に残ったエピソードは、寒く辛い強制労働の最中に、著者が自分の内面に愛する奥様を見出し、それによって救われるというものでした。
「もはやなにも残されていなくても」という章です。
(前略)精神がこれほどいきいきと面影を想像するとは、以前のごくまっとうな生活では思いもよらなかった。わたしは妻と語っているような気がした。妻が答えるのが聞こえ、微笑むのが見えた。まなざしでうながし、励ますのが見えた。妻がここにいようがいまいが、その微笑みは、たった今昇ってきた太陽よりも明るくわたしを照らした。
P60-61より
また、この体験を通じて著者は「人間が詩や思想や信仰をつうじて表明すべきこととしてきた、究極にして最高のことの意味を会得」したと言うのです。
(前略)愛は、人が人として到達できる究極にして最高のものだ。(中略)人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。
P61より
一見やばい自己啓発本みたいな警句に見えるのですが(この記事だけ読んでもそうとしか思えないのは仕方ないことですが笑)、前後の文脈があり、著者の言葉が読み手の中に堆積していれば、必ず心に響くものがあるはずです。
友人の結婚式で神父さんが話してくれる愛にまつわる有難い言葉や、法事で聞くお坊さんのお説教が、たまに響いて聞こえることがあると思いますが、本作はそれに似ていると思いました。
使い古されたようにも思える言葉の一つ一つが、何故だかくっきりと輪郭をもち、意志をもち、静かに輝いているような。
そして、そこまで思える存在が居ること自体が何より素晴らしいことだよな、と思ったのです。
翻って、果たして自分はどうなのか?もし過酷な状況に身をおかれた時に、誰を想う?
そう考えずにはいられませんでした。
また、前段の生きる意味云々の話にも繋がるのですが、著者が周りの被収容者に向けて生きる気力を絞り出させようと語りかけた場面での、一つのエピソードもまた印象的でした。
わたしは、ひとりの仲間について語った。彼は収容所の入ってまもないころ、天と契約を結んだ。つまり、自分が苦しみ、死ぬなら、代わりに愛する人間には苦しみに満ちた死をまぬがれさせてほしい、と願ったのだ。
P139〜140より
思わず涙がポロリするかと思いました。(ギリギリだった)
この人にとって、死はもはや恐れるものではなく、大切な人を守るために立ち向かうものになっていたのだな…と。
まさにこの人にとっては、この時に生きる意味を見出して掴み取っていたのだな…と。
そして、心からそのように願える対象、愛する人のいることが、どんなに素晴らしいことか…と。
他にも、夕日の美しさやささやかなユーモア、芸術によって、まさに地獄としか形容できない収容所生活がほんの僅かに温められることが綴られているのですが、なんかですね、辛い描写よりも、温かい描写の方がすごく丁寧に、熱を込めて語っておられて、そこからも著者の人となりが伝わるようでした。
そしてわたしたちは、暗く燃えあがる雲におおわれた西の空をながめ、地平線いっぱいに、鉄(くろがね)色から血のように輝く赤まで、この世のものとも思えない色合いでたえずさまざまに幻想的な形を変えていく雲をながめた。(中略)
P65-66より
わたしたちは数分間、言葉もなく心を奪われていたが、だれかが言った。
「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」
著者の人間性よ……と感服しきりです😢
心理学者というよりも哲学者なのでは?と思えるほど、示唆に富んだ一冊でした。
まとめ:いつでも心に「夜と霧」
心底つらい状況においても、生きる意味を常に考え続けることに意味がある……そして美や愛が救いになる……ということは、どんな場面でも、わたしたちの心を助けてくれるものだと思いました。
仕事がつらい、恋愛がうまくいかない、人生に希望が見えない……
人それぞれの、その人なりの地獄があると思います。
その軽重を比べるのは意味のないことですよね。
だってその人にとっては、ただ今がどうしようもなくつらくてしんどいのだから。
「著者の場合は強制収容所での体験なのだから。自分のちっぽけな悩みとはレベルが違うから」と遠ざける必要も無いと思うのです。
超極限での学びだからこそどんな場面でも活かせるものがあるはずと、きっと著者も考えておられると思います。
だからこそご自分のつらい体験を率直に描かれたのだと。
なので、今何かに悩んでいる人にとって、何度でも読み返す価値のある本だと思いました。
わたし自身も、いつかこの本を読み返すのだろうな…という予感があります。
今、まじで悩みが無いので😇(やったね!)
いつでも心に夜と霧を。「名著読んだな……」という自己肯定感の高まりも得られますし😋笑
最後までお読みいただき、ありがとうございました〜!