恩田陸の玉手箱短編集第三弾、「私と踊って」のネタバレ感想
最近恩田陸、読んでいないなぁ…(恩田陸さんって、名前の語呂が良すぎてついつい呼び捨てにしてしまう。わたしだけ?🤔)と思い、図書館でいくつか手に取ったうち、今回読んだのがこちらの「私と踊って」でした。
(Amazon評価がそれなりに良かったものを選んだので、中身は全く知らないまま読み始めた)
そうしたらですね、本作は「図書室の海」「朝日のようにさわやかに」に続くノンシリーズ短編集の第三弾だったのですねえ。
ざっくりあらすじと良作4選
ノンシリーズ短編集は、不穏さ…ノスタルジー…突飛で魅力的な設定…恩田陸さんの多面的な魅力を味わうのにぴったりで、大好きな作品なのです。
人読んで、というか名付けて短編玉手箱。恩田陸初中級者におすすめです。
恩田陸さんの短編玉手箱の特徴として、コンセプトものが多い点が挙げられると思います。予告編というか、「こんな世界感もありですよね」と最高に面白そうな世界をチラ見させてくれるというか…
例えるなら、建築や車の展示会で、「未来の車」や「未来の家」を見ているような。本当にこんな商品が世の中に出てくるかもしれないし、来ないかもしれない。不確かだったとしても、無性にワクワクする…。
そんなような(いやどんなだ)世界観。
(ご本人はあとがきで“プロトタイプ”と仰っています。なるほど)
例えば、本作だと『少女界曼陀羅』がそれでした。
なんと、世界は固定されておらず、常にふわふわと漂っている。主人公というか語り手は女子学生。彼女たちの通う学校の教室はいつも漂流していて、あの先生の授業が受けたいと思っても、その先生の教室は遠くに行ってしまっていて、しばらく受けられそうにない…。
そんな動き続ける世界には、時折金色の箱が現れるという。そしてその中には“彼女”が居て、少女たちは“彼女”を一目見てみたいと望んでいる…。
わたしの説明で内容が伝わるか甚だ不安な程に荒唐無稽な世界観ですが、逆にどんな物語なのか気になりませんか。
長編にして成り立つのかは分からないけど、遠い世界にトリップできそうな気がして、どうにも読んでみたいと思うのです。
(その結果、恩田陸さん特有の消化不良を起こして読了後に微妙な気持ちになるんだよ分かってるんだよそんな気持ちになることは分かってるけどそれでも読みたいんだよキャッチーな設定の物語が)(恩田陸あるある樂)
全19話(盛り沢山!)のなかで、特に面白かったのは以下の四編。
- 弁明:読んでいて息が詰まりそうな切迫感。「中庭の出来事」を読まなくちゃ。
- 台北小夜曲:話自体は「結局????」という感じなのだけど、台北のノスタルジックな雰囲気と恩田さんのマリアージュを味わうには最高。どんどん発展していく台北の、それでも漂う懐かしさがやけに目に染みる。
- 私と踊って:恩田さんは“舞台”を描くのが上手だな…としみじみ思う。だってあんなに短い物語でも、バレエシーンが目に焼きつくんだもの。
- 交信:なにこれこわっと思ったけど、あとがきを読んで納得。芸術性高し。こんなアイデア、どうやったら思いつくんだろう。
それから、ノンシリーズ短編集のなにが好きって、恩田さんがあとがきに全話解説を入れてくれるところなんですよね。
ライナーノーツを読むのが大好きなので、普段は解説をしてくれないタイプの作家さんがあとがきで裏話を書いてくれると、それだけでテンション上がっちゃいます。
本作も、あとがきを読んで始めて「そういうことだったのか…」と気づく部分も沢山あって(読解力の低さを露呈)、二度美味しい感じがしました。
ライナーノーツ好きにもおすすめの短編集、やはり良作でした。
全話ネタバレ感想
ここからは全19話のあらすじやオチに触れていくので、未読の方はご注意くださいまし😫←最近この絵文字が好き
心変わり
これはあれだよね…宝探しみたいな…一度本格的なやつをやってみたいな…と思うあれですよね。一つヒントを見つけたら次のヒントに繋がっているやつ。リアル脱出ゲームってこんな感じなのかな。でも大人数集めるの面倒だし、知らない人と一緒にパーティ組みたいかと言われると、そこまでしてやりたくないんだよな…。
みたいな話(全然違う)。
骰子の七の目
いいですね、このカルト感。訳の分からない感じ。恩田さん曰く、「プロパガンダ・シリーズ」をゆくゆくはやってみたい、連作にしてみたい、でも後が思いかばない、とのことだけど、いつか読んでみたい。
忠告
星新一みたいだなぁ、と思ったら、あとがきで「星新一のトリビュート企画で書いたもの」とのことだったので、コンテキストが読み取れてちょっと嬉しくなった。犬の口調が辿々しくて可愛い。耳では正確に聞き取ってるはずなのに舌ったらずになっちゃうのは、宇宙人が日本語をそのように理解しているから?
弁明
雰囲気があって好きだった。「中庭の出来事」のとあるエピソードの裏話、とのことだけど、心あたりがなかったので、そもそも「中庭の出来事」を読んでいなかったのだな。今度読んでみよう。劇団の監督?先生と不倫一歩手前な関係の就活生の女の子の突然死…を自分自身で語るという劇中劇。薬がない、という部分でこちらもぞっとした。どれだけの恐怖だろうか、それは。
少女界曼陀羅
この突飛な設定、好きだなあ。「レイ・ブラッドレリに「びっくり箱」という短編がある。ああいうのをもっとグロテスクに、もっと長いものでやってみたいと思っていて」とのこと。そのびっくり箱というのはどんな話なんだろうなあ。恩田さんって、時折グロテスクものに挑戦したがるよね。
協力
「忠告」と同じ設定で、今度は猫の話。不倫の証拠の隠し場所を教えてくれたと思ったら、実は…というもの。これってやっぱり、猫じゃないと成り立たない話だよね。狡猾な犬もいるはずなのに。
思い違い
「心変わり」の対になるお話。壮大な物語の一部分をチラ見させられている感覚で、「いやその本編!本編の中身が知りたいんですけど!」とむしろストレスになるなこれ。同窓会の下りが可笑しみのポイントなのだろうけど、それもよく分からなかったなあ。やや残念。
台北小夜曲
これ、よかったなあ。ノスタルジックで。折角なので引用しようかと。
ここはデジャ・ビュの街だ。何を見ても既視感を覚えずにはいられない。
「台北小夜曲」
例えば、小さな屋台の焼き菓子を買う少女。白い夏服に、黒い革靴。例えば、スポーツバッグをリュックのように背負い、バスケットボールを突きながら歩いていく少年。例えば、店先のテーブルで汁ビーフンを食べている親子。例えば、乾物屋の店先で腰掛けてお喋りをしている老女。
そのひとりひとりが、在りえたはずの自分の別の人生に感じられるのだ。
(中略)
あるいは、ちょろちょろ道草をしながら帰っていく子供たちと一緒に、あの路地を曲がれば、お線香と湿った匂いのする祖父母の家に帰れそうな気がする。
在りえたはずの自分、という言葉にハッとする。紛れてしまいたいと、心のどこかで思っていたことに。
物語のオチはね、よく分からなかった。子供時代の、幻想の中の幼なじみが、幻想の中から会いに来てくれたということか。
理由
耳に猫が入っちゃう話。あれだよね、起きたら毛虫になっていたけどそれを何故か自然に受け入れてしまっているザムザ青年みたいに、耳に猫が入るというトンチキな現象自体は受け入れられて進んでいく。不条理ものっていうの?こういうのって。
火星の運河
「台北小夜曲」にリンクした内容。空想世界と現実世界がある一点で不意に交わるような、そういう話が好きなので、最後に例の女性と思わしき人とすれ違うというオチは結構好きだったな。
死者の季節
占いの話、死の話。恩田さんの文章って、語り手と恩田さんご自身の語りのトーンが似通っているというか、ついつい恩田さんのエッセイだったっけ?と思ってしまうことが多いけど、本作なんてまさにそれ。
占いは信じていないけど、こんな不思議な話が本当にあるなら、そういう体験はしてみたいなと思う。死の話は不吉だから嫌だけど。
劇場を出て
読んでいる間は「??」という感じだったけど、あとがきで「多部未華子さんの写真集のための書いたもの」とあって納得。女優の卵の、自意識を描いたものなのかな。でも、多部さんの写真が見たくて買った人は、これ読んでどう思ったんだろう。笑
二人でお茶を
短い頁でよくまとまっているなあ。面白かった。ある日突然若くして逝去した天才ピアニストが降りてきたピアニスト…とうお話。脳内で会話するみたいな描き方じゃなくて、うっすらとした天才の才能と願いだけが降ってきて、それをキャッチした青年、という描かれ方だったのも面白い。「生きていれば二十世紀最高級のピアニストになったであろうに、難病のためわずか三十三歳で夭逝した敬愛するディヌ・リパッティ様に、思う存分ピアノを弾いていただきたかったというかなわぬ願いで書いた話」とのこと。当たり前だけど、造詣の深さに驚かされる。今度youtubeで探してみようディヌ様。
聖なる氾濫、海の泡より生まれて、茜さす
大英博物館を特集した本に収録された短編とのこと。残留思念を読み取る青年の話???(分かってない)
分かっていないながら、それでも「茜さす」で描かれた奈良の描写に、思わず鳥肌。
しかし、ここは。
「茜さす」
彼は、石上神社の社殿を見上げ、境内を行き交う神官や、とさかを揺らして歩き回る鶏を信じがたい思いで眺めていた。
なんということだ。ここは、現代と繋がっている–−古代が当たり前に現代に続いており、今も生き続けているのだ。
私と踊って
プリンシパルと女性編集者の友情、と書くと青春もののようだけど、そうではなくてもっと彩度の低いトーン。短編の中でも、やっぱり恩田さんの“舞台”を描く面白さは感じ取れる。例えばこんな風に。
逸材と言われるダンサーは例外なく、生来持っている肉体の速度が図抜けていた。彼らはそこに立っているだけで、ほんの数歩歩いてみせるだけでも「速」かった。彼らの肉体のスピードを見ていると、他のダンサーの動きがとんでもなく遅れて見える。その癖、ポーズひとつひとつはストップモーションのように目に焼き付く。この上なく速く踊っていても、表情や決めポーズがぶれることはない。恐らく、速く踊っているという意識すらないのだろう。あくまでその踊りが必要とするものを表現しているだけなのだ。
普段でも、たとえじっとしてお茶を飲んでいる時でも、身体の奥で音が鳴り、動いているのが分かる。彼らは常に、静止していても魂は踊り続けているのだ。
「私と踊って」
こちらはピナ・バウシュをモチーフに書こうと思ったものだとか。こちらも、今度youtubeで探してみます(すぐやりなさいよ)。
東京の日記
横書きになって本のお尻から遡って読むスタイル。「何か」が起こって以降、国民は緩やかに監視され、夜間外出令が施行され、情報は統制されていく。そんな東京での暮らしを、外国人が日記に残していくというストーリー。2011年以前に書かれたものですが、地震発生を想起させるような文章があってドキッとする。あとがきで恩田さんご自身もそう仰っていたな。
交信
図書館で借りたので、表紙をめくったところにコピーが貼り付けられていて職員さん有難うって思った。きっとこれ、単行本だとカバーを外した表紙と裏表紙に書かれたものだと思うんだよね。
実物見ないと絶対にイメージ湧かない形になっていて、恩田さんの現代アート的センスに脱帽した。文章で、こういう表現の仕方もあるんだなぁと(説明できないなら写真でも貼ればいいのに、撮り忘れた)。
あとがき読む前の印象は「なんかこわい」だったのが、あとがきを詠んでこれまた納得。数年前話題になったハヤブサに関する小編だったんですね。やっぱりちっとも説明できないけど、見たら感心すると思うので、本屋さんで見かけたらそっと表紙をめくってみることをオススメします。文庫版だとどうなっているんだろうか…?
最後までお読みいただき有難うございました!
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