研究者脳を読み手に拡張する「妄想する頭 思考する手」〜文系でも大丈夫〜
会社で受けた研修の講師が勧めていたので読んでみました。(真面目か)
これがですね、予想以上に面白くて。
読み終わったときに「なるほど……」と訳知り顔で頷いてしまいました。
本書は、誰もが恩恵に預かっているスマホ画面を二本指で伸ばしたり縮めたりする技術を生み出した研究者がアイデアを生み出す思考法や数々の研究秘話を語り尽くしてくれている本です。
まず言いたいのが、文系でも大丈夫!ということ笑
※こちら世界史選択の私大文系卒です。
時折マッドサイエンティストなの……?と問いたくなる描写が挟まれおり相当な変わり者感がありながら、語り口が絶妙なのがまた素晴らしい。
専門的な話題をできる限り平易に書いてくださるは当然のこと、選ばれる言葉の端々に、本当にご自分のお仕事が好きで、研究がお好き(というよりも、研究を通して妄想した未来に近づくのがお好き?)なのだな……というピュアなエネルギーを感じました。ぴゅあぴゅあです。
人類はこれまでにもテクノロジーによって自らを「拡張」してきた。言葉を発明し、石器を使い始めた時点で、人間は自分たちの能力を「拡張」してきたのだから。このような「技術が人間を拡張させる」という発想も決して新しいものではない。
P170
(中略)
その意味で、人間拡張という方向性はエンジニアにとってごく基本的な発想とも言える。私はそれをAIやコンピュータといった技術によって推進したいと考えている拡張される要素はさまざまだ。フックが指摘した感覚だけではない。たとえば時間の抑制、予知能力、存在や身体そのものの拡張などなど、これからやれそうなことはたくさんある。
なるほど、確かに人類は道具を使って自分の持つ力以上の能力を発揮してきた。これを「拡張」と言うなら、もっともっと技術による拡張を追求して何が悪いの?ということですね。
一般庶民にとって技術の発展は望むところだけど、行き着く先がSF小説に描かれるディストピアになってしまうのはご免こうむりたい。
この辺りの、「じゃあどこまで許されるの?」という倫理・哲学についても、本を読んでみたくなりました。
SF小説といえば、著者の暦本さんが大のSFファンというのも、刺さる人には刺さるかもしれません。
第6章では暦本氏の来し方が語られるのですが、出るわ出るわ愛したSF作品の数々が。わたしはさほどSFを嗜まないのでピンとこないのだけど…。
ただ暦本氏のモチベーションの根源に、少年時代にワクワクしたSF世界があること、「あんな世界があったらいいな」という妄想が、二本指でスマホを操作する世界的発明につながっていることに思いを馳せると、物語の力ってすごいなと嬉しくなりました。
そして、つくづく暦本氏のピュアさにほっこりするのでした。
これらのことが、平易に、語りかけるように描かれている本書。読めば一流研究者の考えていることが伝わってきて無性にワクワクしますよ。
これもまた、研究者脳の拡張と言えるかもしれませんね。
そして、冒頭で暦本氏が語っておられるように、日々新しいアイデアをひねり出したい、なんらかのアウトプットを出したい……と七転八倒しているのは研究者だけではなく、文系大学生だって、クリエイターだって、ワーカーだって、皆さん一緒なわけで。
同じ悩みに対して、「僕はこうしていますよ」と一流研究者が出血大サービスで考え方のヒントを語り尽くしてくれている。そう思うと贅沢な本ですね。
ですので、本書は(わたしのような)一般的な社畜の方にもかなりおすすめです。研修の講師が勧めるのも納得でした。
以下では、暦本さんの「考え方のヒント」のうち、覚えておきたい…と思ったものを要約しています。
重大なネタバレ(?)なので、読み終わった方のみご参照ください!
一流研究者の考え方
◆真面目と非真面目:
SDGsが“真面目”代表。誰もが必要と考える課題の解消のための技術群を暦本氏は“真面目な技術”とある種揶揄する。目的達成のためには大事だが、予め設定した目標範囲からは決してはみ出さないので。誰も課題を感じていないのに爆発的に普及される技術(iPhoneとか…?)を“非真面目”と暦本氏は呼んでいる。ちなみに真面目の反対は“不真面目”であり、“非真面目”は真面目⇄不真面目の直線上には無いもの、とのこと。
◆天使度と悪魔度:
ズブのトーシロにも伝わるような記述や発想の大胆さを“天使度”、技術的難易度を“悪魔度”としたときに、天使度と悪魔度のバランスが大事だという考え方。「技術のための技術」にならないようにせよ……という戒め。ちなみに天使・悪魔の由来は黒澤明監督の「悪魔のように細心に!天使のように大胆に!」とのこと。
◆クレーム:
研究対象のこと。重要なのは短く言い切れることで、何を主張しているかを具体的に言い切り、かつそれが自分にも他者にも理解でき、証明の仕方がハッキリしている仮説であればあるほど良いとのこと。
例えば「DNAは二重螺旋構造をしている」が良いクレーム。「人間拡張とAIを組み合わせたシステムを作りたい」ではポンコツで、「視線を使ったウェアラブルコンピュータの研究」では未だ足りず、「注視している先の物体に関連する操作コマンドだけを認識するようになれば、音声認識の精度向上させることができる」まで行けば良いクレーム、とのこと。
◆オズの魔法使い法:
これは暦本氏のアイデアではなく、かつてIBMが行った音声タイプライターの試作品のために行われた実験に由来するもの。
被験者には「試作品が完成したので使い心地を確かめる」とだけ伝え、喋った内容がコンピューター画面に現れるのを見てフィードバックをする。けれど精密な音声認識システムを作るのは大変なので、実は別室で人間が音声を聞いてタイプライターを打ち、それが被験者の画面に表示されているだけ……というカラクリ。(実験で知りたかったのは、こんなシステムがあったとして便利か?どんな問題点があるか?の洗い出し)
つまり、その時点の技術では実現が難しい機器のユーザーインターフェースを研究する手法ということ。なるほど確かに。
◆眼高手低:
中国の故事成語で、“眼”は鑑賞力や批評力など物事を評価する力。“手”は何かを創作する技術や能力のこと。つまり「批評は上手だが実際に作らせると下手」というあるあるを言い表しているもの。
これに対し、『暮らしの手帖』初代編集者の花森安治さんは、「高い理想を持ちながら、現実もよくわかっている」ことと美しく言い換え、『暮らしの手帖』の編集方針にされていた……という話。
暦本氏のアイデアでは無いけれど、研究者も同じマインドが必要と説くためのエピソード。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!