質実剛健ファンタジー「香君」を大人にこそ勧めたい
<香りで万象を知る>少女を主人公にした、ファンタジーの大家(※)上橋菜穂子さんの新作を読みました。
※上橋菜穂子さん、日本のファンタジー作家で一番有名なのでは?
上下巻でそれなりのボリュームなのですが、面白すぎて下巻はほぼ一気読みでした。
本の魅力は後ほどご紹介しますが、特に社会人になって世の中って綺麗事だけじゃ動いていかないよね……と感じているアダルトな方々に本作をおすすめしたいです。
何しろ、ファンタジーならではの面白さと、世の理(人である以上、どんな社会でも、現実社会でも起こっている、利害や思惑・立場の違う人たち同士のせめぎ合い的な…)のバランスがすごいので。
著者である上橋菜穂子さんのバランス感覚と本質を捉える力がまざまざと伝わってきて、凄まじいものを感じました。さすが巨匠……。
わたしは十二国記全て履修できていないのですが、小野不由美さんの作品や、あるいは高田大介さんの「図書館の魔女」と似た雰囲気を感じました。
そちらの作品がお好きな方は、きっと「香君」も好きだと思います。
ざっくりあらすじ
冒頭でこれだけ推しておいて恐縮ですが、本作少し勿体無いところがありまして。
巨匠にこんなことを言っては大変失礼なのですが………あらすじが映えない!
わたしの実力不足といえばそれまでなのだけど、あらすじを説明しても面白そう!と思ってもらえる自信がないのです……笑
予防線をがっつり張らせていただいたところで、ネタバレに配慮した本作のあらすじと、わたしが魅力に感じたポイントをご紹介していきます。
ちなみに公式サイトの作品紹介欄はだいぶ踏み込んだ説明になっているので、読むと新鮮に楽しめなくなる恐れがあります。ネタバレが気になる方はあまり見ない方が宜しいかと。
ウマール帝国は、遥か昔に異郷より降臨した初代〈香君〉が携えてきたとされる奇跡の稲の力によって、多くの国を従え、繁栄を誇って来た。
また香君とは、〈香りで万象を知る〉と言われ、代替わりを続けながら今も人々の敬愛と尊敬を集める活神であった……。
その属国〈西カンタル藩王国〉藩王の孫、15歳の少女アイシャは、弟のミルチャを連れて絶望的な逃走を行なっていた。
藩王であった祖父の失脚以来逃亡生活を続けていたが、新たに藩王となった男が彼女らの命を狙っていたのだった。
西カンタルを訪れていた帝国視察官のマシュウは、新王がアイシャらを捕らえる手助けをし、新王と共に捕らえられた姉弟と対面する。
帝国の事情によってあっさりと消えるはずだった幼い命。
だが、アイシャが放った一言によって、彼女自身、また帝国の運命は大きく変わっていくことになる……。
こんな感じでしょうかッ!
本作読まれた方、ぜひ過不足ありましたら教えてください☺笑
魅力は納得感みちみちなところ
物語の説得力というのでしょうか。
もちろん本作はファンタジーですから、全て架空の世界、架空のお話なわけで。
わたしたちの世界には<奇跡の稲>も無いし、<香君>も居ない。
わたしは<香りの世界>なんて当然知らない。
でも……本の中には、本当にそれらが在ると感じる……というか。
そのことが自然に、ごく素直に信じられる……というか。
(魅力を書くには語り口が曖昧すぎる)
そのように感じた理由はいくつか説明できると思います。
まず、著者の上橋さんがインタビューで語っておられる通り、<香りの世界>は実際に存在していて、ただわたしたちが知覚できていないだけの極めて現実的な仕組みであること。
「京都大学生態学研究センターの高林純示教授の『虫と草木のネットワーク』は、植物と昆虫たちの香りによるやりとりについて、わかりやすく書いている本で、私はわくわくしながら読みました。ナミハダニに食われているときと、シロイチモジヨトウに食われている時とでは、植物は、それぞれ違う匂いのSOSシグナルを出していて、それぞれの害虫の天敵は、その匂いを判別して、自分の餌や、寄生できる相手がいるところへやって来るのだそうです。
インタビューより
つまり、昆虫たちは植物のだす香りの意味を把握しているのでしょうね。キャベツに芋虫がいっぱいついても食べ尽くされてしまうことがないのは、そうやって天敵によって制御されているからなのでしょうね。自然の仕組みというのは、実に巧妙に出来ていますよね」
この実在する現象に対して、上橋さんは「それではこんなことも起こるのでは?こんなことは?」と想像の力で世界を押し広げていくのです。
その想像力たるや!
そして実在する仕組みが拡張されることで、読み手側は「そういえばアブラムシのついた茎にはそれらを食べに別の虫が集まるけど、それはどうやって集まっているのだろう?確かに植物には香りコミュニケーションを取る手段があるかもしれない」……などと勝手に解釈しはじめます。
それによって、上橋さんと同じかもう一回り小さく、自分なりに想像を広げることができるのです。
それから、作中で起こる出来事はどこまでも因果がはっきりしていること。
先ほどの<香りの世界>もそうですが、本作では大人たちのポジショントークや利害の絡み合い、駆け引きがたっぷり語られます。
後述しますが、その大人たちのアレコレだってそれぞれの立場に立ってみれば当然よな…という描写ばかり。
また中盤以降から巻き起こるトラブル(超怖かった…本作パニックホラーだっけ?)もその解決方法も、嫌になるくらい因果が、原因と結果がハッキリしているものです。
『全てのことには原因があるんですよ。色んなことが繋がりあっているんですよ』という著者の意識が隅々まで行き渡っているようでした。
実際にインタビューでも、わたしが感じた印象の通り語っていらっしゃいました。
危機から脱するために人間に都合がいいように世界を変える話は、私はどうしても書くことができません。世界を構成しているすべてのものと同じように、人もまた、世界のすべてに繋がっていて、万物と影響し合いながら生きていると感じているので。
インタビューより
この作品には剣も魔法も無くて、ただみんながそれぞれの事情を抱えて生きているだけ。ただその世界が架空なだけ。そこで起こる苦難を、人々がどうやって乗り越えていくかがただ編まれていくだけ。
ああ、上橋さんはあくまで人間をお描きになりたいのだな…ということがよく分かります。
御都合主義や超展開にはもう飽き飽きという方や、架空世界の池井戸潤作品が読みたい、みたいな方にはとってもおすすめです。
※ごめんなさい池井戸潤作品はほとんど読んだことないです印象で言ってます!笑
ジャンル:エコシステム
<香りの世界>で起こっていることは、現実にはアレロパシーと呼ぶそうですが、ここを刺激すればあちらがこうなって…すると次は向こうがああなって…という一連の流れという意味で、わたしは生態系の話、エコシステムの話なのだなと解釈しました。
このエコシステムという言葉、最近では比喩としてビジネスでもよく使われますよね。
例えば互いに独立した会社同士でも共存共栄の関係性にあったりすると、”エコシステム的”と言うとか言わないとか。
iOSやAndroidのようなプラットホームがあって、アプリ業者がそこでアプリを配信し、我々消費者がそれを使う。課金されれば課金されるほど、アプリ業者もプラットフォーマーも嬉しい。プラットフォーマーは自分たちのエコシステムを作り上げるのに成功した…みたいな。そんな使われ方をするとかしないとか。
わたしも機会があってちょっと調べたことがあるのですが、もしそれが意図的に作れたら理想的ですよね。
でも実際の生態系はきっとずっとものすごーく複雑なわけで。風が吹けば桶屋が儲かることなんてそうそう予見できない。みんな大好きバタフライエフェクトも因果が遠すぎるからロマンがある。
エコシステムを意図的に作り出せたら、それはもう神様じゃん…とも思うのです。だからGAFAはすごいと言われるのだよな。
話が少し逸れましたが、本作がすごいのはまさにこの点(どの点?)です。
エコシステムというある種流行りの概念を、ごく自然に、そんな横文字は使わずに、草花や虫たち、生き物たちの動きで表現するところ。物語の隅々まで因果が行き届き、登場するキャラクターや植物までもが相互に作用しあって物語が編まれていくところ。
読んでいてそれらが全くの綻びもなく、作為的な違和感も無く、ごくごく自然に読み手に入ってくるところ。
本作、史上初のエコシステムファンタジーと言って良いと思います。
※史上初は主観。もしこの作品も似てるよ〜!というものがあればぜひご教示ください☺
上橋さん……神なのかな?
この世知辛さが大人に効く
「大人たちの言い分がどっちも分かって辛い」と前述しましたが、初めは15歳の少女の逃亡劇として始まった本作、物語が進むごとにどんどん帝国の辺境から中枢へと舞台が移っていきます。
登場人物の平均年齢もググッと上がっていくのですが笑、主人公・アイシャが(政治的に)対立していく大人たちは決して分かりやすい悪役などでは無く、むしろ読み手によっては「分かるよ、お前の立場も……な」と肩を叩きたくなるのですよね。(誰?)
すみません、具体例を挙げようとするとネタバレになるのでフワッとさせますが、「新旧カシュガ家、どっちの言い分も分かるよ〜!」という感じでしょうかね。
これはもう、社会人生活を続けてきて「世の中ってこんな感じだよねぇ」が分かるお兄さんお姉さんには絶対沁みると思います。
政治の面白さと難しさ、それを冷静に読めば誰でも感じ取れるように描くところに、著者のバランス感覚と思考の深さが見て取れます。
これ、もしわたしが中高生の頃に本作を読んだらどう感じただろうなぁ。大人ってくだらない…と思ったのだろうか。
色んな年代の、色んな方の感想が読んでみたくなる作品だと思います。
ここまでなるべく物語の内容は伏せた上で本作の魅力、面白かったところを紹介してみましたが……伝わりましたでしょうか笑
なにぶん具体的なことを書かないようにしたため、どうしてもフワッとした仕上がりになってしまうのですが、「何となく凄そう・面白そう☺」と思っていただけたら嬉しいです☺☺
以降はネタバレ感想が続きますので、読み終えた方のみでお願いします〜!
ネタバレ感想:荻原作品を添えて
冒頭にあらすじだけじゃ面白さが伝わらないと書きましたが……、稲の秘密を探ったり、オアレ稲を食べちゃうオオヨマと戦ったり、もっと強敵のバッタ(らしき生き物)と熾烈な生存競争を繰り広げたり……ストーリーを書いちゃうとすごい地味なんよ〜!
そんでもって公式の作品紹介で「害虫はつかぬはずのオアレ稲に、あるとき不思議な虫害が発生し、この稲に過度に依存していた帝国は、凄まじい食糧危機に見舞われる」とまで書くのは書きすぎでは…?
せっかくバッタのパニックホラーっぷりが見せ場なのに…
余談ですが、蝗害といえばゴールデンカムイ伝説のラッコ回付近でも紹介されていましたよね。
蝗害怖すぎる。
それはさておき、戦わずとも領土を広げられるというオアレ稲の性質もよく出来ていますよね。
規定量以下の肥料でも毒性を失うから食べられる。なのに何故初代香君は<絶対の下限>を守らせ続けてきたのか?破れば恐らく何かが起こるが、人々は目先の飢えからは逃れられない…。そしてその結果として起こる蝗害。
この辺りの一つ一つのロジックというか、Aが起こるとBが起こり、結果としてCになる…みたいな流れがいちいち論理的で隙が無いというか……ね、練られてる〜!と感心しきりでした。
でもインタビュー拝見すると、最初のモチーフ以降は物語を転がしながら書いていると仰られているからすごいよなぁ。まぁ、本作は雑誌連載とかでは無いようだからやっぱり練って全体を整えながら仕上げられたのだとは思うけども。
稲の奴隷というのも面白い。恐縮ながらホモサピ全史は未読なのだけど、稲奴隷のツイートだけは読んでいたので、そのような、ひどく狡猾で、食われることで食う側を支配するようなやり口もあるのだろうと思わせる納得感がある。
それから「失敗の本質」も思い出しました。御前会議やそれまでの藩王たちの決断は、それぞれの理屈だけ見れば納得できるものであっても、やはり大局観に欠け、楽観主義的であり、つまり損切りがとても下手なのだな。そこに切り込んでいくアイシャの勇気が対照的で、いかに素晴らしいものかが伝わってきました。
夏になると読み返したくなるな。忘れないようにしなきゃと思うのです。
それにしても、新旧カシュガ家や貴族たちの言い分を理解した上で、「さて王様どうしますか?」と判断と責任を求められる若き王様の立場って超かわいそうだなと思った。
ストレスでどうにかなりそう。
大企業の社長さんや日本の政治家さんたちも日々こんな目に遭っていると思うと、ご苦労様です…と思います。
上橋さんのストーリー展開は綿密で美しいだけでなく、ちゃんとカタルシスを用意するというか、盛り上げどころを作ってくれるところも…何というか、お優しいですよね。
アイシャが香君としての名乗りを挙げ、王侯貴族たちを(言論で)なぎ倒していくところなんか痛快でしたものね。いつかヂュークチとアイシャが再会すると思っていたけれど、まさかあんな場面でとは……ほぼほぼスカッとジャパンじゃん!と思いながら読んでいました。笑
マシュウとオリエさんをちゃんとくっつけてくださるし、異郷の謎は全て明かされなかったものの終わり方も綺麗で、何から何まで端正でした。
(しょうもない感想として「〜〜おられる」という言葉遣いがすっごい多いなと思った笑 上橋さんは「おられる」を多用しておられる)
でもすごく面白いのに、もう一度読みたい味わいたい……とは思わないのは何故かなぁ。こんなに面白かったのに。(急に文句?でごめんなさい)
キャラクターが完璧すぎるのかな。アイシャの聡明さと優しさや、マシュウの冷徹さと温かさ。それぞれ否定するところなんて何もない。でも、それが故に愛着も多くは持てない。
………同じことを何か別の作品でも感じた気がするけどなんだったかなあ。
その点、荻原作品は少し違うように思う。正直に言ってしまえば、ストーリーは(おそらく)こんなに綺麗に練り上げられていない。
登場人物も癖があるというか、自分勝手というか、マイペースというか。
でも、なぜか何度でも、荻原さん雪解け水のような清冽な文体と愛おしいキャラクターをまた味わいたくなるのです。この辺は完全に好みだと思いますが……。
とうことで、荻原作品も読みたくなって最新作である「エチュード春一番」を読み返しました。やっぱり…文章が…好き…。
長々と書いてしまいましたが、最後までお読みいただき有難うございました!
ファンタジー大好きなのであれこれ読んでいます。
よろしければタグでまとめてあるのでご参照ください〜☺