「哲学のはじまり」の学び方(結局すべて自分次第ですよね)

Xでバズっているのを見て、ふむ……絶対読みたいですねぇ…と静かに思い、即ポチりました。

https://twitter.com/ysk_motoyama/status/1799926952993931765

(もとやまさんのことは存じ上げないのだが、ちょくちょくTLに流れてきて、気になる本も多いので、よくブクマさせていただいている)

わたしのような私大文系の民でも、哲学は教科書で触れた程度の知識でして。

でも常に気になる存在として”居る”ので勉強してみたいと思い、まずはこちらから…と手に取って見ました。

💡要約するとどんな本?

哲学の概略にまず触れ、そこから代表的な分野として「存在」「認識」「価値」における有名な哲学者の理論を、ゆるいクマさんのイラストと共に噛んで含めるように解説してくれる本。
「2時間で読める」は看板に偽り無しで、途中でうたた寝などしなければ2時間で読み切れると思います。

以下、ネタバレなしのふんわり感想と、5年後の自分に宛てた覚書として書いたメモ=深刻なネタバレが続きます!

どんな本か気になるな…という方は前半まで。
読んだよ!という方はわたしと一緒に復習する気持ちで読み進めていただければと思います。

ふんわり感想

文章が柔らかくて読むこと自体は難しくないため、却ってふわ〜っと読んでしまって何も頭に残らない可能性も出てくるくらい、読みやすい本。

哲学にもいろんな分野、いろんな論法があって、ありとあらゆる全てのこと(存在…認識…価値…そして科学すら)が扱われていることが実感できました。

哲学の中でも相反する考え方がどちらも有名な説として扱われているので、その相反がぶつかっちゃうと、もう全てが霧の中に消えていくというか、曖昧になってしまうのですが…?と言う、足元が不確かになる感覚もあった。
いっそのこと都市伝説みたいな。
これはもう、「信じるか信じないかは、あなた次第です」と同じ世界観では……?

これを面白いと思うか、なんか面倒だな…と思うか。
それが哲学にハマるかどうかの分水嶺ではないでしょうか。

ちなみにわたしは「必要なのは分かるけど、うるさいなぁ」派でした。
哲学向いてないのかも😂

5年後の自分が読んだら思い出せる程度のメモがき

※繰り返しになりますが、深刻なネタバレが含まれますので未読の方はお気をつけください…!(しつこくてすみません、わたしが真っさらな状態で読みたい派なので…)

  • 哲学は「当たり前」を問い直すための学問。自然科学が得意とする「生物には子孫を残そうとする本能がある」と言う前提の、前提の認識を合わせてくれる。(生物とは?本能とは?認識とは?)その意味で、哲学は学問の土台とも言える。
  • 存在論には大きく2種類、「りんごは〇〇である」という本質存在と、「リングがある」という事実存在がある。二つを区別することは重要で、例えばペガサスは事実存在は説明できないが、本質存在は説明できる。
    • 存在論で有名なのは、プラトンとアリストテレス(アリストテレスはプラトンの弟子)
    • ジャン=ポール・サルトルは、「実存は本質に先立つ」といった。人間はまず存在し、それから自分の本質を形成していく
    • マルティン・ハイデガーは、「私」の偶然性(「私」が「私」であることに必然的な理由がないこと)を受け入れることを、「決意性」と呼んだ。「私」は何者にでもなり得て、その意味において自由であると。
  • ”正しさ”を決めるのは、昔は教会だった(権威主義)が、ルネ・デカルトは、人間には、自らの理性によって、正しい知識を獲得する力があると説いた。正しい知識を獲得するためには、「本当か?」と疑ってかかることが大事。=方法的懐疑
    • 自然科学は、「あらゆる出来事には必ず何らかの原因がある」(=因果律)を前提としているが、デイヴィッド・ヒュームは「因果律は私たちが習慣によって身に付けた思い込みである」と、リンゴを持つ手を離すこととリンゴが落ちることに関連性があると思い込んでいるだけだと、問題提起した。(そんなややこしいことは辞めてほしい)
    • これに対して、イマヌエル・カントは、人間が持つ3つの認識能力を定義づけて、因果律があることを主張した。
      • 感官:感覚のこと。りんごから手を離してりんごが落ちるとき、感官によって視覚的に認識する能力
      • 悟性:認識の論理的な構造を成り立たせる能力。感官が感じた出来事を構造化する
      • 理性:悟性は、与えられた材料を組み合わせて作品を作るような働き。実際には人間は、感覚的な材料を得ることができない物事についても推論することができてしまう。そのような、人間の能力を超えた問題を突きつけるのが理性。
        • 理性があるからこそ、物事には原因があって…を突き詰めすぎて、どこから始まるのか分からない領域に突入してしまう
  • 価値論には、倫理的な価値をめぐる議論である倫理学と、美的な価値をめぐる議論である美学がある
    • 倫理学は、どのように行為すべきか・どのように行為すべきでないか…ではなく、「なぜ、そのように行為するべきか」を考える領域のもの
      • ジュレミー・ベンサムの功利主義という考え方が一つ。ある行為が倫理的に正しいのは、それが世界において人々が経験する幸福を増大させるとき、あるいは苦痛を減少させるとき
      • 功利主義は、幸福をもたらすならどんな行為も許されるという極端さがある。これに対して、カントの「すべての人が同じように行為しても、その行為が成立するか否か」で考える義務論が存在する。
      • 功利主義と義務論は相反するもので、どちらを採用すべきかは、それによってどのくらいみんなが納得するか?によるのかも
    • 美学は、美しさの普遍性を自然物に由来するものとして説明する立場(カント)と、美しさは人間が作り出した芸術作品に宿るという立場(ゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル)が存在する
      • 自然美は、幾何学的な構造が心地よさの根拠であるという
      • しかしそれだけでは、形状に関する美しさしか説明できない。美しさとは作者が表現しようとする「精神」である、という考え方もある

最後までお読みいただき有難うございました!