不可思議な質量を持つ怪作「生存者」アレックス・シュルマン

北欧と三兄弟と時間逆行は、お好きですか?ならばぜひ!

手に取ったきっかけは「ヒデミス」でした。

ご存知ですか?ヒデミス。ゲームクリエイターとして著名な小島秀夫さんが選んだミステリーベスト、というウルトラニッチなフェアです。

https://www.hayakawabooks.com/n/ne4c089c59dcb?gs=f4d31815899d

POPを拝見してこれはきっと自分の好みに違いない!と思い、いそいそ購入しました。
(値段見ずにお会計したら3,800円くらいして、2冊分読み込まれちゃったのかと思ったら1冊分の価格でびっくりした)

ちなみに、小島秀夫さんコメントはこちらです。

この家族、何かがおかしい。
やがて現在と過去は交差、衝撃のラストに繋がる!
あの夏の真実、痛みと喪失、それらを理解した上で、
もう一度生きようと成長した少年たち。
哀しみはいつまでも居残り続ける。
現代の生存者に贈る一冊。

まるで曇天のように

まず、最初のつかみが上手ですよね。こんな示され方をしたら続きが読みたくなるに決まってる。

「ベンヤミンといいます。ぼくが通報しました」
 警察はポケットを探り、メモ帳を取り出す。この物語が一枚のページに収まるものでないことを、彼は知らない。かつてこの場所から引き離され、今またふたたび来させられた三兄弟の、何十年かにおよぶ話の結末に踏み込んだこと、ここに見える全部は絡み合っていて、分けて別個に説明できるものがひとつもないことを、彼は知らない。今ここで展開されていることの重みは大きいが、大半の物語は当然もう過ぎたあとだ。この医師団での光景、三兄弟の涙、腫れあがった顔、流れた血は、破門の最後の輪、衝撃の地点からもっとも遠い、一番はずれの輪にすぎない。

P10より

うん、この抑圧と詩的さが両立する文体、良いですよね。
多くのページが北欧の夏の思い出を扱っているのですが、自然の描写が美しく、彼の地の澄んだ空気を吸い込むような心地がしました。
これって翻訳者さんの卓越した言語センスに依るものなのか、原文がそもそも美しいのか、海外モノだと分からなくなりますよね。
今度翻訳者さん(坂本あおいさん)が担当された別の本を読んでみようかな。

曖昧な世界の中で、三兄弟の夏が進んでいく。
太陽は明るくて、湖は煌めく。
父母は時おり三兄弟に愛情を注ぎ、時おりその存在を忘れてしまう。
兄弟は仲睦まじく協力しあったかと思えば、時おり相手を出し抜き、陥れる。
北欧の曇天の空のように、境目など初めから何も無いように、揺蕩うように物語は流れていく。

終始そんなテンションなので、笑うべきところ?なのか緊張すべきところなのかの判断も難しく、これどういう気持ちで読めばいいの?と戸惑うばかりでした。(どんな気持ちで読んでもいいものだろうけれども)

例えば、遠泳競争のくだり。
このエピソード、これを読んで抱いた混乱、悲しさ、虚無感はきっと心に残り続けると思います。

こんなエピソードです。
(以下、内容の詳細に触れてしまうので、これから読む人はちょ〜っとスクロールして先に進んでください)

父親の気まぐれによって、三兄弟は湖の遠くに浮くブイまで泳いで戻ってくるように、これは競走であると言い渡される。
三兄弟は父親の寵愛を受けるべく奮闘するが、ブイは想像以上に遠く溺れかけてしまう。
兄弟たちは励まし合い、助け合いながら何とか岸辺に戻ってくる。
読み手が麗しい兄弟愛と、困難を乗り越えた達成感に感じ入った矢先に、長男は弟たちを突き放し、抜け駆けして一目散に父親の元に向かってしまう。
思わぬ裏切りに胸を痛める暇もなく、”競争を見守っていたはずの父親は既に家の中に戻ってしまっていた”という幕切れが襲いかかる。

死の恐怖も兄弟の絆も裏切りの衝撃も、全てが宙に浮いて放り出され、後に何も残るものはない。三兄弟の胸の内を思うと父親を激詰めしたくなりますよね。親の愛を受けられない辛さが、かつて子どもたちだった全ての読み手に突き刺さる。
辛すぎるだろこんなの。

物語の始まりが一番時系列が進んでいて、そこから現在は少しずつ過去に戻り、過去は現在に向かって進んでいくという構成も面白かったです。
中盤、時間が逆行していく中で、夕日が沈む間際に投げかける光線のような、一瞬の眩い光が読み手に投げかけられます。
その後に訪れる静寂と惰性。それでも進み遡る時間軸。
もうピークは過ぎ去ったのでは?
この後、時間の逆行が交差するときに、これ以上一体何が待ち受けるのか?

様子を伺うように、息を潜めるように読み進めた先に、一段と強い光が待っている。そんな作品でした。

以下、ネタバレ全開感想が続きます!
未読の方はくれぐれもご注意ください。

ネタバレ感想〜曖昧さを楽しむという読み方

無理に要約しようとすると、親の虐待を受けながら育った不安定な子どもが赦しに至るまで、でしょうか。
この場合の”赦し”は罪を償うとか誰かに許されるとかではなく、自分自身が自分を赦し、自分の中のわだかまりが解ける、という意味合いで。

時系列の巧みな操作が本作の魅力とはいえ、読んでいるうちに混乱してくるのもまた事実でした。
全体の流れ(妹が犬で、三兄弟は母の遺言にしたがって遺灰を撒くために別荘地を訪れた)は理解するものの、物事の順序が覚えられないというか……。
チャレンジングで面白い書き方だなと思いつつ、一気読みしたのに頭に入りきらなかったので、やっぱり読者には厳しい手法なのだと思います。

だって、読み終わって「誰か時系列に並べ替えて整理して!」と思いませんでした?
……ええ、やってみましょう(歓声に応えて鷹揚に手をあげる)

Let’s並べ替え〜結局いつ何が起こったのか〜

ピエール7歳・ベンヤミン9歳・ニルス13歳の夏
理不尽水泳競争(トラウマ)

ピエールが生きたまま魚を焼く(これもトラウマ)

白樺の枝を集める

タイムカプセルを埋める

ニルス14歳
ニルス願書出願。ベンヤミンがピエールをくすぐって(悪魔の手)失禁させる
※ピエールかわいそうすぎでは?

夏至歳の日、脱輪して激怒する父親。森に逃げ込んだモリーを追いかけた三兄弟。モリーを捕まえたのちにベンヤミンは変電所に入り込み感電する。それによってモリーが死ぬ。

ニルス高校卒業
家族を捨てようとするニルス。

ベンヤミン20歳の誕生日から2週間後
父親とベンヤミンは二人でスキーに出かけようとして、買い出し中に父が倒れる。父親の死去。

都会に移り住んだ母親の50歳の誕生日祝いに、モリーと名付けた猫をプレゼントする。

母の死から二日後
ベンヤミンは力の限り遠くまで泳ぐ。(自殺)

自殺未遂者に対するカウンセリングの3回目を受けるベンヤミン。
カウンセラーの誘導によって、モリーが犬ではなく妹であったことに気が付く。


深夜0時(最終章)
三兄弟が母親の遺書を見つけ、あの夏のコテージに戻ることを決める。

午前2時
三兄弟はそれぞれ家に帰るが眠れない。ベンヤミンはピエール→ニルスの順に電話をかける。

午前4時 ※母親が死んで14日後であることが明かされる
ベンヤミン、レンタカーを借り、コテージに向けて出発

午前6時
アカシカと出会い、ニルス→ピエールの順にピックアップする
ベンヤミンは子ども時代にヘラジカと遭遇した話を兄弟にするが、兄弟は困惑
※ベンヤミンが記憶障害を起こしていることが示唆されるのだけど、それじゃ正しい記憶が何なのかが読み取れなかった…

午前8時
係員を襲い、母の骨壷を回収

午前10時
ハンバーガーショップに立ち寄る三兄弟。変電所の事故があった時、ピエールはベンヤミンを探しに行っていたことをベンヤミンが認識する。(ニルス…お前はなんてやつなんだ…)

正午
三兄弟、コテージに帰還

午後2時
変電所の様子を確認し、ニルスはあの時の自分の振る舞いを反省し、かつ弟たちからのいじめに苦しんでいたことを吐露する。

午後4時
臨終の母の写真を携帯で撮影していたニルスがその写真をピエールに見せたことで小競り合いが起こる。三兄弟はサウナに向かう

午後6時
サウナを終え、三兄弟はタイムカプセル探し。ピエールが掘り当て、当時のことを振り返る。骨壷を手にして湖へ

午後8時
散灰のセレモニーを行おうとした矢先、湖にブイが浮かんでいるのを発見し、三兄弟はボートに乗りブイと仕掛けられたままの網を回収しようとする。網はヒモが切れて回収できない。ピエールが、自分が学校でいじめられていた時にニルスが無視したことを指摘し、ニルスは弟たちが自分をいじめるので自分が価値のない人間であると思い込み家族から離れたかったと弟たちを批判する。ピエールとニルスが喧嘩を始める

午後10時
ピエールとニルスが湖の周りで激しく喧嘩する中、ベンヤミンは家の中に戻り緊急番号(警察かな)に電話をかける。兄弟の死を恐れ湖まで駆け戻るベンヤミン。ピエールとニルスは既に喧嘩をやめていて、兄弟たちは言葉もなく互いを労りあう。警察のサイレン。

午後11時59分(物語の始まり)
警察が到着

自らの過失によって妹を死なせてしまった罪の意識がベンヤミンの記憶をねじ曲げ、妹は犬に成り代わったのですよね。
三兄弟は、父母も、おそらく妹を本当に大事に思っていたからこそ愛娘の喪失に耐えられず、もともとが機能不全だった家族は、その決定的な出来事を引き金にとうとう壊れてしまった。

妹の死によって取り返しのつかないヒビが入ったものの、それでも家族は時おりつながり合おうとする。その姿が痛ましく切ない。

息子とスキーに出かけようとした矢先に脳卒中を起こしそのまま他界してしまった父のエピソード、辛かったです。
気まぐれだったにせよ、愛はあったのだよな。それが息子たちを苦しめていたことに気づけない、愚かな父親だったけれども。

そして、二人でパブに飲みにいくほどの仲なのに息子を突き放し続け、最後は全てに抗うように黙したまま死んだ母親。
最後の手紙で、少なくとも子どもたちを苦しめてきた自覚があったことが分かり、少なくともわたしはスッキリしました。今更そんな言い訳を……と思わなくもないけれど、「そうだったんだ」と残された人が理解できることが、残された人たちにとって大事なのだと信じたい。

父親とは一緒の墓に入りたくないと遺言を残した母親の心境はどんなものだったのでしょうね。
愛娘を失って、互いが互いを責めたのだろうか。ベンヤミンを可愛がれないことをどう思っていたのだろうか。
完璧な人なんて居ないけど、それでもこの両親はもっと努力すべきだったのに、と思うのは、わたしが恵まれているが故の驕りなのか。

そんなことも考えさせられました。

あとあれですね、両親が(特に母親が)不潔なことも、読み手のMPを削ってきましたよね〜。作者の躊躇のなさを感じました。
家の中に戻ってトイレに行くのが面倒だというだけで草むらの中で用を足す母親。寝室におまるを置いて、朝になったら窓の外に中身を捨て、金色の雨(食事中の方、失礼します)を降らせる母親。
嫌すぎる!

それでも子どもたちは、それが当たり前であるが故に、何も思わずただ母親に可愛がられたら嬉しくて、夜寝る前に読み聞かせがある日には、12歳の長男だって母親の膝下に寄ってくるのですよね。DVによって相手を縛るってこういうことなのだな。

もし少しでもこの家族に家庭環境が似ている方がいたら、もしかすると本作は辛い読書体験になるのかもしれませんね。
わたしはベンヤミンが、警察を迎えたその後に、彼なりの幸せを手にしたはずだと信じます。
だって自殺未遂を乗り越え、過去を受け入れ、彼はきっとこれから初めて彼の人生を歩むのですから

最後までお読みいただきありがとうございました!