歴史・音楽・エンタメ!須賀しのぶ「革命前夜」を読んだ

須賀しのぶさんの作品は、以前「芙蓉千里」を読んで以来久しぶりでした。

書店で並べられていた帯が、大げさなんじゃ無いかってほどの文句だったので、じゃあどんなものだろうと手に取ってみました。
(まんまと出版社の策略に乗っかってしまった…笑)

煽りまくりの帯

ざっくりあらすじと感想

読んでみて…、確かに面白くはあるものの、これ絶対読んで!と人に勧めたいとは思わなかったので、星三つかなあと。
(星三つは、興味があれば読んでたらいいと思います、という個人的評価を指します。好みの世界なので、あくまでわたしの評価ですが…)

1990年頃の東ベルリンが舞台で、音楽学校に通う日本人留学生が主人公の本作。
扱うテーマも重く、ベルリンの壁崩壊に向かうまでの東ベルリン内の緊張の高まりと、市民同士での密告の横行や秘密警察の暗躍を扱いつつも、自らの音楽表現の方向性に苦悩する主人公の葛藤と再生が絡み合い、後半は犯人探しのミステリー展開もあり…と盛りだくさんで、エンタメ性も十分です。

こう↑書くと最高に面白そうなのですが…事実面白かったのだけど…

何だろうなあ…
表現が大仰というかコッテリしていて、あまり入り込めないなと感じてしまったのですよね。

須賀しのぶさんの作品は、盛り上がったり下がったり、ジェットコースターみたいなエンタメ性が魅力(芙蓉千里の印象に引っ張られている気もする)だと考えているのですが、本作は扱うテーマの重さゆえに、エンタメチックな美々しい表現がしつこく感じてしまった、というか…。

作中では、主人公マヤマ(眞山柊史)を始めとする音大生たちの演奏表現や、バッハらの名曲に関するエピソードが数多く散りばめられているのだけど、ついつい恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」と比較したくなってしまいます。(同じように考える人、結構いると思うな)

わたしには音楽の素養が全くなく、クラシックに関する知識もないので、これらの描写に対して、こんな風に感じられる訳が無いと一歩引いてしまったのですが、「蜜蜂と遠雷」を読んだ時には、こんな風に世界を感じられるようになりたい!と、引くどころか寄りたくなったのですよね。

この違いが、2作品に対するストレートな感想だなと。

もしかすると、音楽に詳しい人には納得の表現で、わたしがただ無知なだけなのかもしれませんが…。
例えばオーケストラ奏者の方が革命前夜と蜜蜂と遠雷、2作品ともを読んだらどんな感想を抱くのだろう、なんて思いました。

東ベルリンに関する描写も、クラシックに関する解説も、かなり詳細で入念な調査・研究を経て描かれたのだろうな…
ということがよく分かり、その分自分に現代史の知識が絶望的に不足していることを自覚しました。

北朝鮮からの留学生・李英哲がマヤマに対して言った言葉が、自分に言われたようで胸が痛かった。

「その程度の意識で、よくこの国のことに口出しできたもんだな。おまえが頭を使って考えた意見なら一理あるとも言えるが、違うことが今のでよくわかった。おまえが案じているのは、観客の痛みでもなんでもない、彼らの怒りが自分にぶつけられることだけだ。彼らを納得させる演奏が自分にはできないと知っているからだろう」

P198より

現代史を知らないのは、学校で習っていないせいだ!

と言い逃れしたくなるけれど、知っている人は知っているし、世界の常識であることには変わりない。

こうやって物語を通して自分に馴染みのない世界に触れるたび、その読書での出会いをきっかけにして、触れたことを自分の知識にしていきたいな…といつも思うのです。

今回で言えば、ベルリンの壁崩壊に至るまでの経緯。
何かいい本か映画か、無いかなあ。

以下、ちょっとしたネタバレ感想です。未読の方はご注意くださいね。

こっそりネタバレ感想

最後の方でぶわぁ〜〜〜〜っと明かされていった、登場人物たちの秘密に、実はちょっと付いていけませんでした笑

イェンツとガビィは二人とも実は密告者で、クリスタとラカトシュが怪我を負った黒幕でもあり、けれどもラカトシュを刺した犯人が実はニェットで…イェンツは彼女を庇って…罪滅ぼしのために音楽を捨てて…?

マヤマとガビィの会話から、まずイェンツの秘密が明かされ、そしてイェンツの対峙によって彼の本質が垣間見える。
けれどもその後に、李とマヤマの会話によって、彼の語らなかったこと、真実の一片が類推される。

イェンツは本当はどういう人なのかを知りたいと思っても、彼はすでに遠く隔たった後で。うーーーーーん、ちょっとおセンチ過ぎる!?!?笑