こじらせたアラサーに沁みる近未来SFホラー「消滅世界」


 

ざっくりあらすじと感想

 

読み始めてしばらくして、「あっこれ外で読む本じゃないな」(エロ的な意味で)と思ったけど、
そんなに激しい描写は無かったからセーフだった。(そういう問題か)
※少し前に「教団X」をドヤ顔で屋外で読んでたらエロ本的要素が強すぎてあとで恥ずかしくなったことがトラウマになっている。
 

人工授精が発達した近未来の日本。
恋愛と結婚は完全に切り離され、結婚相手は恋愛の対象ではなくなり、
代わりに恋愛対象は人間だけでなく二次元のキャラクターに範囲が拡大されていく…。
あり得ない!とか、気持ち悪い!とかって、
生理的に拒否してしまうことは簡単だけど、
果たしてその世界って、本当にあり得ないことなのかな。
 

結婚という考え方、家族という価値観、それがどんどん変質していく昨今のご時世。
ライフスタイルの変化に合わせて、
企業は利益を追求するために「売れるもの」を追いかけて、提供される商品も変わる。
それを当たり前のように享受しているわたしたちと、この本の中の世界、
一体何が違うっていうの?と著者の嘲笑が聞こえた気がした。
 

30歳にならなんとしている今、学生時代からの友人たちは、
疑いようも無く結婚と出産に突き進む人もいれば、
結婚を願いながらできない人もいるし、結婚に対して消極的な人もいる。
「結婚することが当たり前という価値観が早く変わってほしい」
「結婚には夢も希望も興味もないけど、子どもは欲しい」
「40歳の未婚より40歳のバツイチの方がいいような気がする」

そんなことを飲みの席で語らったりもする。(個人の感想ですよ、あくまでも)
もしかしたら、そんなわたしたちには、
人工授精が当たり前となった世界の方が生きやすいのかもしれない…
と考えずにはいられなかった。
 

作中に、学生時代からの仲良し4人組(内情はいろいろある)が登場する。
結婚をして子供もいる樹里、
結婚していて子供はまだいない雨音(主人公)、
結婚はせず、一人で(あとシェアハウスの友人と)育児をするミカ
結婚も子供も持たず、一人で生きるエミコ。
 

この4人のそれぞれのあり方が、まさにわたしたちが取り得る(ただしまだまだ見えない壁はある)選択肢で、

 

「だって、皆が何で家族が欲しいのか、正直よくわかんないもの。生きていくのに合理的だからってだけでしょ?子供がいない場合は特にだけど、いないほうが合理的だもの私たちはどんどん進化しているのに、家族っていうシステムだけが残って、宙ぶらりんになってる感じ」(P125)

 

エミコのこの台詞が、まさにこじらせたわたしたちの心の叫びでもあるな、と思った。
 

一方で、実験的に行われてるという千葉での取組(何となく舞台は幕張をイメージした)は、
人工授精の世界を更に飛躍させたものになっていて、こちらも衝撃的。
 

その世界では、政府が主導して出産が管理されており、
女性はもちろん、男性も人工子宮により出産が可能だという。
(ただし、着床はするものの出産が成功したことはまだ無い)
 
そして、生まれた子どもはすぐさま施設に預けられ、
大人たち全員の“子供ちゃん”となり、大人はその“子供ちゃん”を可愛がる義務を持つ。
誰もが平等に愛情を受けることで、“子供ちゃん”は安定した精神を持ち、
それぞれの適正に合わせた教育を受けることで、
優れた人材を輩出することが可能…という理論に基づいた、実験都市になっている。
 
人間工場とも形容できるそのグロテスクさは、
人工授精が発達した世界とは異なる違和感があると感じた。
 
それが何故なんだろうと考えると、
たぶん、多様性や選択肢を排除しているからなんだろうな。
 
“子供ちゃん”が優秀になるという仮説は、わたしはうまく行かないと思った。
振れ幅の広さ、というか、それらをすべて排除して、均質的にして。
それでは同じ方向のものしか生まれてこないのではないか。
感情の揺さぶり、価値観のちがいがあるからこそ、
互いを理解したいのだと思うし、壁を超えようと努力するのだろう。
 
ただ、壁は時折軋轢を生む。もし最初から壁がなかったら?
そんな努力は生まれない代わりに、もっと平和になるのかもしれない。
どちらが本当にいいことなのか、そもそも、何が“いいこと”と言えるのか。
うーん、わからん、深い。
 
なので、多様性という意味では、様々な選択肢が当たり前に共存する「千葉の外」の世界が、
もしかしたら一番いいのかもしれないな。
選べること、そこに見える壁も、そして見えない壁もないこと。
それこそが、まさに多様性を得るのに必要なことだと思うから。
 
 

以降、ラストシーンに触れるので未読の方はご注意ください。
 
 
 
 

【ネタバレ】このラストってどうなん

 

グロテスクな終わらせ方にしなくてもよかったのにな~~、とちょっと思った。
 

てっきり雨音は、母親の呪いによって楽園の中でも開花すると思ったのに
(いやでも、最後の子供ちゃんとのアレは、まさに波乱の幕開けだったのかな?)、
どこの世界でも適応しすぎると言っているし…
 
というか、適応する自分と、そうではない自分がいるから苦しんでいるんだな。
それは分かるけど、子供ちゃんのきゃべつ畑に突入したり、
母親を監禁したり、子供ちゃんと交わったり…
奇行に走らせなくても良かったのにな。
 

せっかくここまで展開させた近未来感まで、
「ああ、こんな感じで狂って終わりね」
という陳腐さに隠れてしまう気がして。
 

母親が、なんで性交してまで産んだ子供に”呪い“を授けたのかも分からないし、
(父親はどうしたの?憎しみを抱いてるの?それってなんで?)
濃密に書かれてる部分と、かと思えばやけにあっさりしてる部分もあって、まだら感があったなあ。
 
面白いテーマというか、今の世相を反映させた意欲作だとは思うけども。
飲み会でくだを巻く友人たちがどう読むか、今度勧めてみようかな。笑