話題のノンフィクション「つけびの村」が明らかにしたもの
2020年(第3回)本屋大賞 ノンフィクション本大賞ノミネート作品です。
確か女性誌か何かの本紹介コーナーで見かけて、黄色ッ!な表紙がやたらとファッショナブルに思えたこと、副題「噂が5人を殺したのか?」の禍々しさに好奇心をそそられ読んでみました。
2013年の夏、わずか12人が暮らす山口県の集落で、一夜にして5人の村人が殺害された。犯人の家に貼られた川柳は〈戦慄の犯行予告〉として世間を騒がせたが……それらはすべて〈うわさ話〉に過ぎなかった。
晶文社HPより
気鋭のノンフィクションライターが、ネットとマスコミによって拡散された〈うわさ話〉を一歩ずつ、ひとつずつ地道に足でつぶし、閉ざされた村をゆく。
〈山口連続殺人放火事件〉の真相解明に挑んだ新世代〈調査ノンフィクション〉に、震えが止まらない!
普段ノンフィクションを読むことがほぼ無いのですが、本書を読んで、やっぱりノンフィクションとどう向き合えばいいのか分からないと感じ、分からないからこそもっと読んだ方がいいのだろうな、と考えました。
上記を含めた感想を、本書のあらすじとともにご紹介していきます。
ざっくりあらすじ
本書はそもそもがメディアプラットフォーム「note」で有料記事として公開された記事に追加調査の書き下ろしを加えたものらしく、序盤は無料記事として公開されています。
わたしのようなノンフィクションに触れる機会が少ない方など、読んでみると雰囲気が分かるのでお試しあれです😋
ルポ「つけびの村」01/06 〜山口連続放火殺人事件の因縁を追う〜
https://note.com/tk84yuki/n/n264862a0e6f6
著者の高橋ユキさんは、2005年に女性の裁判傍聴グループ「霞っ子クラブ」を結成、複数の裁判傍聴記録を出版。執筆当時(2017年〜)は週刊誌の記者として働きながら、主に殺人事件の公判を取材するフリーライターとして活動されている方です。
著者は、初めから本書の題材である<山口連続殺人放火事件>を追っていたのではなく、”夜這い風習”の裏取りのために、事件の舞台である山口県周南市金峰地区の郷集落を訪れます。
怪しげな”宇宙ステーション”、1000年以上の歴史がある金峰神社、異様かつ無人の殺人犯・保見の自宅……インターホンを鳴らしても決して応答せず、テレビの音量だけがどんどんどんどん上がっていく住人……
なんだかやたらと不穏な村の様子に驚きつつも、なんとか”夜這い”の取材を終えた著者。
この取材の中で、当時最高裁で係争状態にあった<山口連続殺人放火事件>にとある疑問を抱いたことから、著者は独自に村と事件の取材を始めることにしたのだそうです。
とある疑問とは、犯人・保見とそれ以外の村人との関係について。
判決では本鑑定の結果に基づき「近隣住民が自分のうわさや挑発行為、嫌がらせをしているという思い込みを持つようになった」と認定されているが、これが本当に「思い込み」だったと言えるのかについて、私自身はすこし疑問を感じていた。事件発生当初から、保見は集落の村人たちから”村八分”にされていたのではないかという疑惑があったからだ。
P19より
村八分はあったのか、無かったのか?
また保見は村人からいじめに遭っていたという証言をしているが、それも思い込みなのか?
こんな疑問に対し、夜這い取材の中では斜め上の発言が村人たちから飛び出すのです。
曰く、保見が事件を起こす前から、泥棒や放火は日常のものとして発生していた…と。
こう話す村人もいた。
P40より
「皆殺されて、おらんようになったから、幕引きはできた。私はほんとに安心して生活できるようになったよ。わし自身は。今はもう鍵はかけんけど、鍵をかけ忘れるときも別にどうちゅうことないし、倉庫の鍵をつけたままにしとっても別に何も盗られることもないし、以前はそんなことしよったら何もなくなりよったからね。まだ色々悪いのがおったの。名前をあげりゃ2〜3人そんなものはおったからね」
まるで事件で村に平穏が訪れたかのような口ぶりなのである。「皆が家族みたいに仲良しだった」集落で、「鍵をかける者などいなかった」という報道に接していた私は、また驚いた。
な、なんて物騒なんだ郷集落。
こうして著者は、事件の本当の姿を追い求め、限界集落に足繁く通い、村人たちと対話を重ね、村の歴史を紐解き、神事にも潜り込み…と、あの手この手を使って事件を追いかけていきます。
当時広島拘置所に収監されていた保見にも接触を図り、対峙していきます。
そして、最高裁判決。結果はどうだったのか…。ぜひ皆さんの目で読んでみてください。
ネタバレ注意!読み終わって思うこと
※以下、本書のネタバレが続きます!未読の方は読まずにまず本書を読むことをオススメします※
ノンフィクションを普段あまり読まないことは先ほども書いた通りですが、ノンフィクションって思ったよりもライターの性格というか気質が文章にモロに出るジャンルなんだなぁと思いました。
フィクションと同様に、著者と読み手の相性があるんだな。率直に言うと…著者の文体というかスタンスというか…は、わたしには少し合わなかったかも。
誰かから請け負った取材ではなく、ノンフィクション賞に応募しようと思い取材に着手されたとのことで、収入に直結するかも分からないまま、時には住民から厭われながらも必死に食らいついていく姿勢は驚嘆ですし、文章も読みやすく分かりやすいです。
けれど、時折感情的な書きぶりが見られるところが個人的にちょっと…なぁ。
いや、気持ちはよく分かるんだけども。犯人(本人は否認を続ける)である保見からの意味不明な手紙や差し入れの要求はそりゃ腹立たしいだろうし、子育てをしながら売れないかもしれないノンフィクションを執筆し続けるのも相当しんどいだろう。
でもわたしはエッセイを読んでいる訳ではないのだよな、と思ってしまったのでした。「〜で驚いた」みたいな文章が頻出するのですが、驚いたというあなたの感情は別に欲してないです🙂といちいち気になってしまった笑
ノンフィクションを普段読まない、とは先述の通りですが、数少ない引き出しから石井光太さんの「地を這う祈り」を引っ張り出して、どこか比較していたのかもしれないです。
ルポルタージュって、もっと書き手の視点は透徹としているもので、余計な感情は挟まずに、見たもの聞いたもののインパクトをそのまま読み手に差し出すものなのでは…?と。
「地を這う祈り」を読んだのも数年前のことなので、もしかすると石井光太さんの文章もめちゃくちゃ情緒的だったかもしれないのだけど…笑
※地を這う祈り、すごくしんどいのでおすすめしづらいのだけど、気になる方はぜひ。
と言うことで、文体や取材の粘っこさ(その恩恵を受けてこの事件をここまで知ることが出来たのでわたしがそれを言う立場には無いのだけど、被害者家族をしつこく追い回すのはちょっと…)は気になりつつも、取材から浮き彫りになった事件の輪郭は、わたしには真実と思えました。
また、特に昔々のうわさ話と昨今の炎上ムーブが時代を超えて繋がっていることや、裁判における”責任能力”の扱いの不可思議さには納得するところが多かったです。
好奇心は恐ろしい、そのつもりが無くとも誰かを傷つけてしまう言葉が恐ろしい。
けれど好奇心や言葉があるからこそ、わたしたちは色んなものを生み出すことが出来た。その恩恵があるからわたしは楽しく生きていくことが出来る。
好奇心や言葉だけじゃない、毒にも薬にもなるあらゆるものを正しく使うことが何より大切で、それはひとりひとりの心の在り方や、自制し自律しようとする意志が必要不可欠なのでしょうね。
せめてわたしは炎上しないように、また燃えている誰かに燃料を投下したり、傷つけたりしないように気をつけようと思いました。まる。(締め方が小学生)
※炎上うんぬんは最近【推しの子】を一気読みしたからより一層思うのかも…笑 面白いよ【推しの子】!
ノンフィクションの面白さ、ノンフィクションの難しさ
本書が犯罪系(って言い方が正しいのかな)のノンフィクション、かつ犯人が逮捕され裁判も終わっている”解決済”のノンフィクションだからかもしれませんが、どんな気持ちで読むのが正しい向き合い方なんだろう?ということが気になりました。
未解決事件であるなら情報提供を呼びかける役割があるだろうし、既に犯人が逮捕されて公判中であるなら世論に何かを訴えかける役割があるだろうと思えるのだけど。
それでは、裁判も終わった事件のについてはどうだろう?
意地悪な書き方をすると、わたしには(特に本書が)事件をおもしろおかしく取り上げた「売れる」ためのノンフィクションなのでは、と感じられたのでした。
(もちろん、真摯な取材を積み重ねた作品ということは先にも述べたとおりですし、作品を貶めようという意図は無く、ただそういう側面があるのかな?と思ったという話)
<山口連続殺人放火事件>そのものが、当時12人(ウィキでは14人)しか住んでいない限界集落で5人が殺されたというインパクトや、当時犯行予告とも噂された川柳「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」の存在も相まって、人々の好奇心を煽り立てる要素が十分に備わっています。
そんな人の興味を惹く事件が、noteという新しいチャネルで販路を切り開き、思わず目に留まる真っ黄色な表紙に彩られたことで、本書は(もしかすると予想以上の)ヒット作となったのでした。
わたしが気にしてしまうのは、本書のヒットについて、被害を受けた方の関係者はどう思われるのだろう、ということ。そっとしておいて欲しいと考えはしまいか、あるいは、大切なご家族がこの世を生きた証として残しておきたいという気持ちで出版を前向きに受け止めるのか。
あるいは加害者側の関係者はどうだろう。本書の中でもマスコミの取材攻勢にかなり疲弊している様子が克明に描かれていた。彼女らは、本書の存在を知っているのだろうか、本書をきっかけに再び彼女らの周りを取り囲む人は増えていまいか。
…なーんてことを考え始めると、本書を含む”解決済犯罪系ノンフィクション”が、事件を”消費”しているように思えてならないのでした。
特に本書は、その話題性の結果からか、最近オーディオドラマ化されたようでして。
noteに公開され話題となったルポ「つけびの村」(高橋ユキ)。猟奇的な連続殺人事件を追った作品は晶文社から書籍化され、好評を得ている。2020年7月には「Yahoo!ニュース本屋大賞2020年ノンフィクション本大賞」にもノミネートされ、現代を代表するノンフィクションとなっている。
今回、この「つけびの村」を原案にした書下ろしの脚本でTBSラジオがAudio Movieブランドの第3作目としてオーディオ・ドラマに仕立て上げた。
脚本は新聞記者の経歴を生かし、活躍の場を広げている佐藤奈央が担当。
相模原障害者施設殺傷事件の被告へ取材したドキュメンタリー「SCRATCH 差別と平成」(TBSラジオ・RKBラジオ共同制作)で第45回放送文化基金賞ラジオ番組部門・最優秀賞などを受賞した鳥山穣がプロデュースする。
https://audiomovie.jp/tsukebi
作品を知るきっかけが多いのは良いことだろうけど、読んだ人がそれぞれに感じることは大切なことだけど、なんだかなぁ…と、思わなくも無い、ような。(※未視聴で書いてます!聞いてみたら面白いのかもしれないけど食指が動かない…)
そして、まんまと好奇心をそそられて本書を読んだわたし自身も、その消費の片棒を担いでしまっている。
更にこうしてブログにまで書いているのだから、自分でも『ただ読むよりも”消費”してる感じがするなぁ』と感じる始末。うっすらとした罪悪感めいたもの。しかし書かねば伝わらない、書けば消費の片棒感…このジレンマ、どうしたものか〜?
ただ、先ほども書いた通り、本書を読むことで炎上騒ぎの根底にあるものについて考えることが出来たし、裁判における”責任能力”や、妄想性障害の概要・その弁護の難しさを知ることができた。
”解決済犯罪系ノンフィクション”への態度の話含めて、読んだからこそ知ることができて、考えることができた。ノンフィクションの魅力、みたいなものを実感することができた。本書を読んで良かったなと心から思いはするのです。
うーーーーん、でもやっぱり、モヤモヤは残り続ける…。
なので、次はちょっと違った系統のノンフィクションを読んでみようかなと思いました。例えば未解決事件を扱うものだったり、犯罪系から離れてみたりね。
色々考えさせられる作品でした…と、まとめるとペラッペラの激薄感想になってしまい恐縮ですが😇、ご興味ある方は一読して損はないと思います。よろしければ。